2011年9月28日水曜日

レイチェル・カーソンの「感性の森」と「ピース9の会」





映画の冒頭のシーンで、レイチェル・カーソンが森の中で、まだ見たことのない鳥の姿を双眼鏡で追っています。鳥の神秘的な鳴き声に耳を澄ませると一瞬、恍惚としたような表情が彼女の顔に浮かびます。私も彼女の聴いている鳥の声を感じたいと憧れを抱くのです。

しかし、私の左耳はなぜか、不自由ながらも敏感なアンテナを持っていて、その研ぎ澄まされた感性がときには詩的な言葉を生み出すことがあります。その耳は時には、人間には聴こえない空気の流れを読み取り、また沈思黙考した時には、地球の鼓動さえも感じ取ることができます。逆に40代を過ぎて、右耳が拓いた時は、聴覚のバランスを取るために、遠くの宇宙のこだまを聴こうとする姿勢も生まれました。

ところで最近、明日にはもう上映時間が終わるという日に、この映画「感性の森(”Sense of Wonder")を観ました。
最初、この映画のチラシが可愛らしい貝殻や草花の写真を見て、私は単なるアーティストの物語かと思っていました。しかし、中身は予想したものとは全く違っていました。1960年代、つまり私たちが生まれた頃ですが、殺虫剤や農薬(DDT)問題を最初に警告した女性ジャーナリストのドキュメンタリーだったのです。

彼女は森林の農薬散布の現状を暴いた「沈黙の春」を書き、それがベスト・セラーになりました。しかし、彼女の主張が不都合な人々によって、「ヒステリックな女性」と呼ばれるようになってしまいました(パンフレットより)。それにも拘わらず、彼女は真実を訴え続け、やがてそれは私たちが環境問題の深刻さに気付くきっかけとなったのです。

この映画で私が感銘を受けたことの一つは、これらの環境問題は今や常識となっていますが、それまで「何だか、体に害がありそうだけど、誰も文句いわないし、まあいいか」と見過ごされてきた事実を敢えて問題視し、様々な困難や中傷にも負けずに毅然と、しかし淡々と自分の主張を貫き通したことです。
私が子どものころに見た、「サザエさん」という長谷川町子さんが描いた漫画に、環境問題について取り上げたものがあったのを覚えています。

主婦たちが集まってホームパーティを開いているのですが、添加物が入っていないからカビが生えてしまったチーズの方が安全だと云って嬉々として食べるというストーリーだったと思います。

今では、お店を選べば、添加物の入っているものを探すのが難しいという有り難い時代になりましたが、人間の感性は、歴史の中で圧政者や科学の行き過ぎた進歩によってごまかされ続けました。その産物が未だにところどころに転がっています。

砂漠に落ちたダイヤモンドを探すのも大変ですが、珊瑚礁が減り続けているという現実に気付き、海を汚さないように、自然界の生物多様性を壊さないようにすることも同じぐらい大切な事です。私たちはどちらを優先するべきでしょうか?

事実を見逃すことはたやすいことです。でもその問題に一番近い場所にいる誰かが、その現実を知ったときに、勇気を持って真実を証しし、行動すること…それには、
「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」というイエス様の言葉が私たちに力を与えてくれます。私たちの預言者は今や必ず、聖霊となって甦り、私たちを助けてくれるのです。

ピーター・ラビットの作者「ミス・ポター」や、奴隷貿易問題を扱った「アメイジング・グレイス」の映画も同じでした。男性であれ女性であれ、戦争で勝つ武勇伝ではなく、「義のために働く」人達の姿が私の心を打ったのです。

それは、明治維新で功労し、華族の称号を擁いた後藤新平と血のつながりのある、安場という家の宿命が私の中に欠片ほど残っていたからかもしれません。この後藤新平の孫である、大伯母の鶴見和子さんも、日本に於いて、水俣問題に取り組んだカーソンでした。

安場保和という人は今では珍しい、清廉潔白の政治家として知られていますが、福岡県令(昔の知事)を務めたことがあります。顎の形と血液型(私が祖父と同じなので恐らく?)が遺伝していることもあり、その血がどうしても騒ぐのかもしれないとも思います。

でも、私はテレビの政治ニュースを見るぐらいならテレビを見ないほどなのです。どうせ茶番劇ですし、見るだけで感性の目が汚れてしまうからです。今では原発問題は私たち個人の力ではどうにもならないし、そんな事に腹を立てるのはみっともないからと、大人しく羊のようにボランティアする人もいます。けれど私はなぜかそういう人、特に男の人をみると却って(笑い過ぎてではなく)脇腹が痛くなるのです。

もう一人、父方の祖父は優秀な弁護士でした。カトリック正義と平和協議会の中にある2つの言葉が、我が家の旗印だったのです。祖父は、部下を招いての宴会でもお酒は飲まなかったと聞きました。肝臓が悪かったのかもしれません。人間には肝臓という臓器が生来、備わっていますが、それは怒りの感情をもたらします。怒ると体に良くないといいますが、「怒るに遅く憐れみ深い神」でさえ、怒りを貯めるとグリコーゲンが燃焼仕切らずに、脂肪肝(フォアグラ)になりそうです。

しかし、その怒りが平和のためのエネルギーに向けられるためにあるとすれば、それは私たちに与えられた神の恵みであるともいえるのです。

一昨年の夏に、たまたま田園調布教会で、松浦補佐司教様の御ミサに与かったことがきっかけで、私の中にかなり長い間、忘れていた一種のバランス感覚が蘇り、脇腹の痛みが癒えました。それは青山の国連大学の前を通った時、国連英検を受けた時、そしてニューヨークの国連本部に行った時と同じでした。

そうこうして自分の足跡を逆に辿っているうちに、私はある記憶に行き着きました。それは私が生後一年目から45年以上、そして今も暮らしている我が家の道路一つ隔てた向かいに、数年前まで防衛庁があったことです。

防衛庁と言えば、私は生協でさえ、一度も入ったことはありません。向かいに見える高い塀の上に金網の張っている監視台があり、妹などは小さい頃は、カーキ色の制服を着ていましたが、単なるおまわりさんだと思っていたそうですが、今思えば、ものものしい雰囲気さえ漂っていたと思います。

一方、私たちの日常生活の場である我が家では、3人の聴覚障害児の賑やかな声が一日中、聞こえていました。またそれだけでなく、私の母にとっては子どもたちの聴覚障害と、それに伴う様々な健康、教育的な問題を乗り越えるだけで精一杯でした。国防の事は全く無関心で、母子共々、奮闘する日々が続いていたのです。その塀の中の懲りない昭和の兵隊さん達が、あの殺伐とした世界と日常的に関わっていたなどとは考える由もありませんでした。

しかし防衛庁が無くなり、東京ミッドタウンという、いくつかの大きな美術館のある、世界でも最もおしゃれで、センスのいい人たちが集まる高層エリアになりました。そして、私の体に長い間、知らず知らずのうちに抑圧され、蓄積された怒りの感情がくすぶりだしたのです。その感情が私の体のある部分に不快な塊のように残っていて時にはそのために動けないこともありました。それを発散するためのカウンセリングも受けましたが、なんとも生ぬるくてやる気さえ起こりません。

防衛庁の建っていた街に自衛隊の名残があったせいかもしれませんが、N.Y.の国連本部でブルーヘルメットの写真を見た時、カーキ色や迷彩色の兵隊さんは好かないけど、こちらは格好よくて清々しいと思いました。日本の国連のインターンシップのボランティアにも応募しましたが、英語力が足りないために採用されませんでした。

そんなこんなで半ば諦めかけていた矢先に、私は「憲法九条を世界の宝に ピース9の会」講師を務めていらっしゃる、松浦司教様に出会ったのです。そのミサ後、私は田園調布教会のピース9の会「地に平和」の富澤さんに言いました。私たちのような若い(!?) 人、アーティストの友人たちなどは、固い憲法の話は敬遠してしまうから、音楽や絵本朗読で平和を訴えた方がいい、と。しかし、その時は新ピース9の会を設立する気持ちは全くありませんでした。

そしてその翌年に、世界各地の戦災で傷ついた子供のための医療施設「ドイツ国際平和村」支援チャリティーコンサートを開く時に、松浦司教様の大阪から応援していただきました。そして今年も引き続き、麹町イグナチオ教会で被爆ピアノを使った、平和と東日本復興「LOVE & PEACE チャリティーコンサート」を開催し、成功いたしました。

このコンサートの準備をしている時に、今後も機会があれば、音楽と芸術による平和祈念コンサートをまた開きたいとい思うようになりました。しかし、私たち女性だけでは心許ないですから、松浦司教様に指導者として、後ろ盾になっていただきたいという気持ちが強まったのです。そして、昨年と今年の出演者などに呼びかけましたら、2名の方々が参加登録に同意してくださいました。

偶然にも全員がマリアの霊名を戴いていますので、会の名前は、“Maria Arts & Music PEACE9”と決まりました。会の登録日はメンバーのTさんの提案で、2011年8月15日の終戦記念日、つまりマリア様の被昇天の祝日を予定しています。
この3人のマリア様が集まって、これからどんな活動ができるか、全く未知数ですが、一歩一歩、神様と対話しながら、柔和に謙遜に「平和のために働く人」になりたいと思います。

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