2010年12月7日火曜日

ムジカ・マリア第二回コンサート無事終了!


こんにちは。
ここしばらく大変、忙しくてブログの書き換えもおろそかになってしまいました。
マリア様はクリスマスはお忙しかったのでしょうけれど、いつも心静かに祈り、日々の務めを果たされていたと思います。

さて、いつかお知らせいたしました、ムジカ・マリアの第二回目のコンサートも無事、終了いたしました。
今回は、プロのフルート奏者の根岸美江さんが加わり、私たちの演奏にビブラートのデコレーションをしてくださいました。 また、元高校のフランス語教師の諸岡さんの「昔話」も、ユニークな舞台作りとなったと思います。
樋口先生も根岸さんに負けずに熱の入った演奏を聞かせていただき、日野さんは手話付きソングで光っておられました。 内藤さんのピアノ演奏も安心して歌えますね。 ダンゴのリズムがノリノリの赤鬼と青鬼、まりちゃんと椎名さんのコンビの活躍が期待されるところです。 まりちゃんの司会がよかったとみんな、言っていました。

ところで、渋谷ドミニコ教会のガールスカウトの子たちが、おじいちゃん、おばあちゃんにお茶を運ぶお手伝いをしていましたが、私も小学校時代にそこのブラウニー(ガールスカウトの下にいる予備軍)にいたことがあります。
当時のブラウニーの制服は水色ではなく、白いブラウスに濃い目のワインカラーの、上記のイラスト(これはペルーのハイスクールの制服)と同じ型のスカートをはいていました。
小学校6年間は、渋谷教会の教会学校にも通っていましたが、教会の聖歌は全く覚えておらず、ガールスカウトの歌だけは今でも歌えるのです。
「私たちはブラウニー」と「われらスカウト」、そして募金をしながら歌う、「魔法の金貨」という歌です。
シチュエーションが違うと、記
憶力がついてくるのかもしれませんね
35年ぶりに会った、当時の私の教会学校の友人が、あの「頭の悪そうな」女の子だった「みねこちゃん」が、本を出したり、コンサートをやったりするのを見て、恐れおののいて、連絡が途絶えてしまいました。

というわけはありませんが、来春は、自著「マリア・エリザベートの音楽―拓かれた耳の贈り物」(PHPパブリッシング)をベースにしたお話と歌のコンサートを開くことになりました。
詳しくは次号のブログでお知らせいたしますので、楽しみにしていてください。


2010年10月30日土曜日

桜町ホームで二度目のコンサート!

急に秋が深まってまいりました。

何やかやと雑用に追われていましたが、このところとりあえず一息ついています。

Maria Elizabeth's Teatime in Japanの読者の皆様、いかがお過ごしですか?



さて、私たちの”ムジカ・マリア”(と正式に決まりました)ですが、来月の28日(日曜日)の午後二時半より、小金井市にある聖ヨハネ会桜町ホームで、二度目の訪問コンサートを行います。

今回は、新たにプロのフルート奏者の根岸美江さんが、ムジカフレンズとして加わり、私たちの演奏に華麗な装飾を付けてくださることになりました。

今回は、「めだかの学校」、「みかんの花咲く丘」、「スキー」などの馴染みの曲の他、フォーク系の聖歌「ガリラヤの風かおる丘で」、「主は水辺に立った」、碑文谷サレジオ教会の歌「フレンズ」、そしてあの懐かしい「学生時代」などを歌います。

手話あり、昔話の朗読ありの個性的なプログラムです。

皆様もお時間がありましたら是非、聴きにいらしてください。

2010年9月23日木曜日

NYC被爆ピアノコンサートを聴きに行ってきました!


先週、ニューヨークとペンシルバニアに行ってきました。
ニューヨークでは、NYC被爆ピアノコンサート第一目がセントラル・パーク近くのセント・ポール&セント・アンドリュー教会で開かれ、私たちのドイツ国際平和村支援でも出演してくださった飯島晶子さんと再会しました。
午後7時から9時半まで、2時間半に渡る日本やNYC在住の音楽家による心温まるコンサートで、飛行機の旅の疲れも一気に吹っ飛びました。

さてアメリカは今、オバマが大統領に就任したせいか、ブラックパワーの逆流がすごく、脳内環境が常にビバークし続け、眠れない日もしばしばでした。
滞在したホテルのフロントは8,9割がブラックで、皆んな丁寧な対応で感心いたしました。
逆に町中には、腕に入れ墨を入れたホワイトが目立つようになり、アメリカは今、時代の接点に立っているのだと実感しています。

私もペンシルバニア大学都市のホテルのレセプションデスクのKristalさん(写真)が、ASL(アメリカ手話)ができたため、打ち解けてお喋りして楽しいひとときを過ごしました(私はASLはほとんどできませんので、英語と筆談で)。

実は、やはり薬の副作用で、私の兄も聴力に障害があります。
彼は、大変優秀でしたので早稲田大学院から、アメリカのアイビーリーグの一つであるロチェスター大学院で経済学修士号を取り、今は障害者学の教授として活躍しています。
兄のホームページのサイトを2人で見ましたら、その中に「ディサビリティ」という言葉がありましたが、その後、滞在したホテルで「Disability for hearing」と言いましたら、特に差別する風でもなく、人種や宗教の違いと同じように扱ってくれました。
NYCは人種の坩堝、フィラデルフィアも黒と白が共存している街、違って当たり前の国では、それだけは日本よりはるかにポイントをあげたいぐらいでした。
日本に帰ったら、なれ合い社会で、ぶよぶよした人が目立ち、恥ずかしかったです。

確かに、世界の中で最も平和で安全であるのは日本の宝でもありますが、その中で個人の痛みが見えずに平和活動と聞いても、鎮座しているばかりでちっとも動かない人が多いですね。
ニートと呼ばれる人たちの中には、かっては兵役に行ったかもしれないという日本の社会の風潮が生み出した被害者かもしれません。
兵役だったはずの穴場を平和活動の戦士に変える流れができたらなんて思っています。

被爆ピアノコンサートについても、来年以降はカトリック教会聖堂開催を目指しています。
各教会とも、コンサートホールの会場費用は無料にしていただけると思いますが、問題は被爆ピアノの搬送と調律の代金です(24万円)。
前回のドイツ国際平和村チャリティコンサートでは、その費用を出せる自信がなかったので、一般のピアノで、同様のプログラムを組んで開催いたしました。

次回は是非、被爆ピアノを使いたいと思っていますし、カトリックピース9(憲法9条を守る)の会にも協力していただきたいと思っています。
私の計画では、予約チケットを有料にすれば、その収入から費用を捻出できるかもしれません(例:3,000円のチケットを80枚売却)。
そして残りの座席を自由献金にしたいと思っています。

ニューヨークの被爆ピアノコンサートは、セントラルパーク近くのプロテスタント教会と、ハドソン川での9.11慰霊祭(灯籠流し)などが開かれ、これはNYC本願寺の協力によるものらしいです。


以下は被爆ピアノのオフィシャルサイトです。

http://www.peace-hiroshima.org/

そしてこちらは飯島さん(朗読家)から送っていただいた、ニューヨーク被爆ピアノの動画ブログです。
こちらも合わせてご覧ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/robanomimi_a

2010年8月17日火曜日

コンサート大成功!


ドイツ国際平和村支援「LOVE&PEACE チャリティコンサート」~歌と朗読の調べにのせて~
が、大成功のうちに終了いたしました。
お陰さまで、ドイツ国際平和村に支援金を25万円、お送りすることができました。
本当にありがとうございます。

本来なら会場にはいない、ドイツ国際平和村の子どもたちが主役であること、そういう思いでプロジェクトを進めてまいりました。
私がドイツ国際平和村に出会うきっかけとなったのは、子どもの頃からファミリーコーラスで歌っていた、ベートーベンの第九交響曲の中にある”An Freude!"「喜びの歌」を、東京国際フォーラムでフルコーラスで歌うことになったためです。
私は、初めて取り組む難解なドイツ語の発音に悩みました。
それは今から約10年前のことでした。

その時たまたま、ドイツ大使館の隣にある旧自治医大学校の校舎内で、ドイツフェスティバルというのが開かれていることを知ったのです。
元来、グルメ級とはいわないまでも食べ物の味にはうるさく、人が作ったものより自分で作る方が美味しいと自負している私ですので、ドイツのソーセージやビール、ワイン、チーズなどを食べると、ドイツ語の発音がスムーズにいくことがわかったのです。

そして、その会場の一番上の階で、「ドイツ国際平和村」の写真展が開かれていまして、平和村の子どもたちの様子に胸が痛みました。
その中に、戦争で全身が焼かれてしまった子どもが、空輸でドイツに運ばれ、集中治療室で手当てを受けた後、リハビリテーションのためにオーバーハウゼン市にあるドイツ国際平和村で母国に帰るまで滞在している様子の写真がありました。
全身の皮膚が焼けただれてしまったために、移植する皮膚が無く、僅かに髪の毛に残っていた毛根についた皮膚を顔のあたりに移したそうです。
その子どもはまだ5歳でしたが、ひげもじゃもじゃのおじさんのようなお顔でお隣のお友達と肩を組んで、楽しそうに笑っているのです。
悲しいやら、可笑しいやらで涙が出てしまいました。

そして折角、ドイツ語の歌を歌わせていただいているのですからと思い、その後すぐにドイツ国際平和村のサポーターになったのです。
ドイツ国際平和村を、歌と朗読というイベントで支援するという形で、ささやかですが、私も平和の一戦士をなりたいと思います。

そして最後に、私の好きな、「アッシジの聖フランシスコの平和を求める祈り」の歌を皆様に捧げます。

主よ、私をあなたの平和の道具としてください

憎しみあるところに あなたの愛があるように
悲しみあるところに 喜びがあるように
過ちあるところに 優しい心があるように
疑いあるところに 信仰があるように

絶望あるところに 満ち溢れる希望を
暗闇あるところに 光があるように









2010年8月10日火曜日

いよいよコンサート開催迫る!


皆様!

ドイツ国際平和村支援
『LOVE & PEACE チャリティコンサート』~音楽と朗読の調べにのせて~
の開催がいよいよ明後日と迫ってまいりました。
お陰さまでコンサートチケットは完売いたし、ただ今、予備席を設ける準備に追われています。
皆様のご協力を心より感謝いたします。
当コンサートでは、アヴェ・マリアやアメイジング・グレイスなどの名曲の歌とピアノ演奏、「ミサ子の被爆ピアノ」の絵本朗読そして、ドイツ国際平和村でボランティアスタッフとして活躍された宮本さんのお話もあります。
ロビーでは、ドイツ国際平和村のパネル展示も予定されていますので、皆様にとって貴重なひとときとなることを願っています。
それでは皆様に会場でお目にかかれるのを楽しみにしています。
ごきげんよう!

2010年6月16日水曜日

私のボランティア論


天に宝を積むという言葉があります。ボランティア活動(善行)により、徳を積むということです。何か悪いことをしたからではありません。仏教では罪の償いとしてボランティアをするそうですが、既にミサによって贖われることを前提とするキリスト教は違います。なぜなら罰としてのボランティアなら、人は決して自主性を持って行うことはないでしょうし、喜びのうちにボランティアするマザー・テレサの笑顔の意味はわからないと思います。
「あなた、ボランティアをする人」「私、しない人」という二分されたボランティア意識が日本にあります。これはおかしいと思います。一人ひとりが奉仕活動なり、募金なり、一日100円分でも奉仕する義務があれば、停滞した世の中に少しでもさざ波が立つかもしれませんのに。でも、それを法律として義務付けるのも間違っていますね。
聖書に基づいた思想が、一人一人の中に根付いていれば、誰かがボランティアをすれば、自分も自分の「できること」でボランティアをしてみようという自然な流れ場できれば、いちいちPR活動をしなくてもすみます。PRに費やす時間とお金だけがかかる世の中っておかしいと思います。
ボランティア活動なら、時間にある程度、縛られずにすみますし、肩肘張ってやらなければという犠牲の押しつけもありません。休み休み、どこかで休息場所があるのがいいでしょうね。
真の使命感というのは、自らの内なる力に密接に結びつくものです。自分にできることから、できないことでも誰かをサポートしながらできる活動はたくさんあるはずです。もちろん、ボランティアをしているうちに自分の使命を見出し、それが職業に結びつく人もいます。
私の場合、どうしようもない心の鬱屈が、シャンティ国際ボランティア会の絵本ボランティアをしてみたら、ふぃっと取れました。家庭の事情で就職ができない今、社会に取り残される不安から救ってくれるのも、チャリティコンサートの企画や訪問コンサート活動なのです。月に一回の日曜日には、外国人の子弟のためのサンデースクールもやっています。
その上、アムネスティ・インターナショナルから、フェアトレード商品を購入しています。それは、聴覚障害者である自分に対して、かけられたあらゆる中傷のため、かけられた冤罪を払拭したいからです。
実は3才の時から20歳過ぎまで、長年装用していた補聴器のため、騒音性難聴が多少残っており、そのため発声が悪くなることがあるのです。それを克服するために声楽のトレーニングを始めたのです。
それなのに、どういうわけか不倫もしたことがないのに、ひどい声だ、厭らしい声だ、と誤解を受けてしまい、精神的にショックを受けて失語症になったことさえあります。
私はわりに聞きとりがいいので、時に手話通訳は必要ではありませんが、大きな部屋での離れた人の声などはわかりづらいので、通訳がついていると話がわかって助かることがあります。
でも、手話通訳がいると聴き取り能力が劣ってしまいます。
人間の脳に上る血液の量は、人間皆な、同じだそうです。ですから通訳がいると手話を見ようとして、視覚の方に血液がたくさん行くのだそうです。その分、聴覚がどうしても鈍ります。
 耳が不自由だということを隠して、コミュニケーションをしても相手の人は全く気が付きません。相手は私の耳に自分の声を投げかけることに集中しているためその分、私の聴覚がとても冴えてくるからです。情報を知りたいという思いと、相手の声を直接、聞いてコミュニケーションをしたいという想いの狭間でいつも、心は揺れ動いています。
ボランティアするのもされるのも、難しいですが、聴こえない人にはこう対応する、見えない人にはこう、脚の悪いひとには、という十羽ひとからげのボランティアではなく、一人ひとりが友として関わり合える相手に巡り合えることが真のボランティアなのだと思います。一人に最低一人、持ちつ持たれることのできるそういう友がいるのが一番いいのではないでしょうか?








2010年5月9日日曜日

パラドックスグルメ論


 メタボリックシンドロームという言葉もすっかり浸透しました。 コレステロールに包まれた、ぶよぶよの日本人が左を見ても右を見てもごまんといるけれど、お相撲さんに見慣れている私たちには、これが特に、異常な光景とは思わないのは恐ろしいことだと思います。
 実は私の兄も、子供の頃から太っていた時期が痩せていた時期と比べてかなりあります。お兄ちゃんは、たくさん食べてくれるからと、家族で外食した時など、自分たちの食べ残しを全部、廻していました。向こうも喜んでくれるから、そういった悪循環はかなり最近まで続いていたのです。こうして私たちは、そのために「太っている人」=「たくさん食べてくれる人」という固定したイメージを持ってしまいました。
 ところで、テレビのお料理番組やグルメ番組を見ていましたら、どうも食べ物とタレントのキャラクターを結びつけているような気がしました。 太ったタレントが、丸いでんぷん質のメニューを、自分の顔や体に見立てて食べたり、痩せた人はスティック状の野菜をふりかざしたり。 テレビのカメラワークもそんな風に動いているように感じます。
 ただ私が気にしているのは、そのイメージがいつも、飽食の方向性しかないことなのです。豚のように太った人がいたら豚を食べるとか、そういう卑しい食べ方をしているとしたら、自分も豚のようになりかねません。 逆の場合も同じです。人を食べ物でもって侮辱するなどもっての他です。
人間の脳が右脳と左脳と二つあれば、栄養学的な知識だけでなく、何か付随した感性的な遊び心が加わることがあるのは、いたしかたがありませんが、もっと品性があってもいいのではないかと思います。そのために西洋からテーブルマナーが伝わってきているのですし、日本の懐石の作法も、今では、雑誌に丁寧に紹介され、誰でも自然に学べるはずです。
欧米の映画の食事シーンを見ていると、どうやら話題と食べ物が密接に関連しているようです。黙々と食べるか、「あ・うん」で会話する日本人とはやはり文化の違いもあるのでしょうが、洋服だけでなく食生活ももっと洗練されてもいいはずです。
 びっくりしたのは、映画館で、残酷シーンを見ながらシュークリームを食べている人がいたことです。恐怖心を和らげるために甘いものを食べているのかしらと思いましたが、怖かったら、目をつむるなりそむけるなりすればいいでしょうに、もしこれが現実だったら、人が死にそうな場面でお菓子を食べられるでしょうか?
 私が子どもの頃は、教会で「アフリカやインドの貧しいお友達のために祈ってから食事をいただきましょうと言われたことがあります。貧しさと豊かさの対比。もし現実に目の前にそういう子どもがいたら、とてもむしゃむしゃと食べる気にはならないでしょう。逆に周囲が食べている場面で、病気でもないのに一人だけ断食するというのも苛酷な気がします。
 でも私は子どもの頃に、貧しい子どものために祈ったからといって食事がまずくなったという記憶がないのです。 むしろ一つ一つの料理をより深く味わうという秘蹟が起こり、僅かな食卓でも豊かな正餐に変えることはできるのではないでしょうか。聖書の中には、生活に密着した言葉がたくさん出てきます。
つまり、食べ物は昔から豊穣の実りとか、聖書の中にもオリーブや葡萄、パンや魚、小羊などたとえ話の題材としてはよく使われているのです。人間の生命線としての食物が、常に飢えとの戦いであった、イエス・キリストの生きた時代は、切実な問題として語られていますが、私たちにとっては食べ物に対するイメージは、スピリチュアルなメッセージよりも、かなり浅薄ものとして聞き流されているようです。
 続いてあるのは、いつか新幹線の京都駅で買い求めた懐石弁当についていた、「五観の偈(ごかんのげ)」という書きつけです。とても印象深かったので、捨てずに持って帰り、拡大コピーして友人などに配っています。

これは、主に禅宗において食事の前に唱えられる偈文です。僧侶の食事作法のひとつですが、道徳的普遍性の高い文章であるため禅に限らず多くの分野で引用されています。五観文、食事五観文、食事訓ともいうそうです。典拠は唐の南山大師道宣が著した『四分律行事鈔』。道元の著作『赴粥飯法』によって広く知られるようになりました(ウィキペディアより)。


【偈文】
 一には功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
 二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。
 三には心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
 四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
 五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。

 【略訳】
 一つ目には、この食事が調うまでの多くの人々の働きに思いをいたします。
 二つ目には、この食事を頂くにあたって自分の行いが相応しいものであるかどうかを反省します。
 三つ目には、心を正しく保ち過った行いを避けるために、貪りの心を持たないことを誓います。
 四つ目には、この食事を、身体を養い力を得るための良薬として頂きます。
 五つ目には、この食事を、仏様の教えを正しく成し遂げるために頂きます。

 これらはどれ一つとっても、名文で素晴らしいと思いますが、私のような英語と日本語が頭の中で分裂しているような忙しい現代っ子には、カトリックの祈りの方が馴染みやすく、自分の力の及ばないところは、こうして聖霊の力を借りて食事をいただく必要があるかもしれません。


2010年5月7日金曜日

カナダで和菓子を作りました! 

 茶道といえば、和菓子がつきものです。畳の茶室でいただくとまた格別ですが、お茶の師匠の祖母が亡くなってここ5~6年は、和室とはずっとご無沙汰しています。
 ところで、私は3年ぐらい前に渋谷にあるお料理教室で、和菓子「もみじ(紅葉)」を習いました。それ以来、私の夢は同じメープル(紅葉)で有名なカナダの方々にそれを紹介することでした。
 一昨年の秋ちょうど、メープルの紅葉シーズンが始まる頃に、バンクーバーから飛行機で三十分ぐらいのところにある小さな島、ヴィクトリアに短期で語学留学する機会があり、ホームステイ先で作ることができました。
 旅の前に和菓子の材料のチェックはしたのですが、到着してトランクを開けたら、肝心の白玉粉を忘れてきたのに大慌てしました。が、本当に幸いなことにステイ先からわずか十分ほどのところに日本料理の食材店があり、お米はもちろん、お豆腐、お味噌がある中に、ちゃんと白玉粉やあんこも売られていたのでした。
 午前中は語学研修、午後に市内観光、そして毎晩、ホストファミリーに日本の伝統文化を紹介しました。最後の夕食は、台所をすべて任されたので、日本食材店とスーパーで買い物をし、ホストママのデニスと、日本の英会話学校で先生と作ったベターホームのレシピの英訳を見て説明しながら、一緒に作りました。出来上がったときの彼女の感激ぶりはご覧の通りです。
 その日の夕食は天ぷらに干ししいたけ(カナダの椎茸は高い!)ご飯、アボカドの刺身(法律で生の魚を食べることは禁じられているため)、揚げ豆腐の梅びしお、わかめの味噌汁をご馳走しました。食後は、祖母に教わった茶道の略盆点前でお抹茶を点てて、和菓子をいただきました。日本から持参した茶道のテキスト本を読みながら、ホストのパパとおじいちゃんが茶碗を上げ下げしたり回したりする様子はほほえましく、私もまた新たな視点で勉強させていただきました。
 メープルシロップしか知らないカナダ人に、日本にはこんな奥ゆかしい、季節感に溢れたお菓子があることを伝えることができ、有意義な旅の思い出ができたことを感謝しています。
 

2010年4月16日金曜日

コンサート開催のいきさつ


 私は、知人の絵本朗読家の飯島晶子さんと、声楽家の丹藤麻砂美さんと昨秋から、ドイツ国際平和村支援の被爆ピアノコンサートを企画しています。そもそものきっかけは、カトリック信徒である私が、今から数年前に麹町イグナチオ教会の子ども図書のボランティアをしていた関係で、飯島さんの「被爆ピアノ」コンサートを聴きに行きまして、その時に飯島さんと知り合いました。

 その後、私は声楽を習っていましたが、一昨年に先生であった丹藤さんが、美空ひばりさんの広島原爆の歌「一本のえんぴつ」のCDを出され、一昨年の広島原爆記念日には飯島さんと丹藤さんが、広島ドームをはさんでそれぞれ、屋外コンサートを開催されたのです。
飯島さん達の被爆ピアノで、丹藤さんが歌うというのが私たちの夢でしたので、それを実現させるべく、昨秋からミーティングを重ねてまいりました。

 このコンサートの企画は、カトリックの大阪司教 松浦五郎司教様を代表とする、ピース9の会の活動に、私が触発され、始めたものです。もちろんピース9の会の方にも賛同をいただいています。今、日本は憲法九条を守るための勉強会や講演会があちこち開かれていますが、女性や子供向けには、感性的に訴える絵本や音楽のコンサートによる啓蒙が必要と考えています。また平和な日本にあって、戦争という事実が過去のものとなった今、戦争の現実感はかなり薄れてきています。今、この瞬間、世界のどこかで紛争があり、罪のない子ども達が傷ついているという事実に目を向けてもらうために、ドイツ国際平和村にも協力をお願いしました。
先日、今年の広島原爆記念日の直後の、8/12(木)にコンサート開催が決まりました。残念ながら被爆ピアノの使用は予算の都合上、見送りましたが、ありがたいことに、ドイツ文化センターが立派な大ホールを無償で貸してくださることになりました。また、パイオニア(株)も聴力障害者向けの体感振動装置を無料で貸与して下さることになり、コンサートの内容もさらに充実したものとなりそうです。

 このように私どもは、ドイツ国際平和村の活動をより多くの方に知っていただき、国際平和に対する関心を高めていただきたいと考えております。皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

2010年3月19日金曜日

「マリア・エリザベートの音楽―拓かれた耳の贈り物」が半額で買えます!



このブログをご覧の皆様で、まだ私の著書を持っていない方!
得々情報です!
以下のサイトを開いてみてください。
「マリア・エリザベートの音楽―拓かれた耳の贈り物」(PHPパブリッシング)が、半額(1,300円⇒682円)で買えます!

http://www.bh-jinbocho.com/zkin/bhj_search?frm=sha&shac=374

もちろん、新しい話をこのブログで、という方もお楽しみに!
できたら、地域の図書館に購入リクエストしてくださいね!





2010年3月12日金曜日

インスピレーションからインスピレーション


桜町ホーム訪問コンサートが終わって早くも一週間経ちました。
ホームの方々のそれぞれの思いを受け止めながら、いつもの生活に戻りつつあります。

アンコールでリクエストも受け、「アヴェ・マリア」(バッハ/グノー)と「南国土佐を後にして」が大好評でした。
カトリックの施設らしく、聖歌を口ずさむ老シスターもいらっしゃって、聖歌をメインにするコンサートって、やっぱりいいな、と思いました。

初めての訪問コンサート、最初はなかなか人が集まりませんでしたが、今年に入ってから年配の方が立て続けに入って来られ、メンバー数も二倍に増えました。
それからの練習は、お喋りをしながら午後1時から3時までの予定が5時過ぎまでになることも度々でした。
そんなわけで、この音楽グループは、演奏レベルもまだまだ、歌唱力もおぼつかない状態でしたが、皆の気持ち一つになったことが成功の一因でしょう。

会の重鎮のHさんは、元大学教授、大学付属の高校の校長先生でいらっしゃって、先生の話は、学生時代だったら聞かなかった校長先生の立派な講話のようでした。
偶然、再会し、コンサート参加をお願いしたプロのピアニストの方のアドバイスも私たちには貴重な意見です。
手話通訳件歌手のおば様方には、それらを含めて、温かい心で包んでくださって、本当にありがとうございました。

さて、このボランティア活動をきっかけに“インスピレーションからインスピレーション“という状態が始まったら、しめたものです。
ちょっとわかりにくい言い方ですが、“栄光から栄光へと”とか「昇華」と言い換えればいいでしょうか。

でも、お金にもならない活動って、ある意味で、全ての始まりであり終わりでもありますね。
アルフォンス・デーケン神父様のいらっしゃるイエズス会は、「神のより大いなる栄光のために」(Ad Maiorem Dei Gloriam)がモットーです。
これは「どんな活動でもよい意志をもって精力的におこなえばかならず神の国のためになる」という精神を表しているそうです。

デーケン神父様のバック・アップがあればこそ、できることですが、訪問コンサートも被爆ピアノコンサートも是非、成功させたいものです。

2010年3月8日月曜日

チャリティコンサートサポーター募集!


只今、ドイツ国際平和村支援「LOVE & PEACE サマーコンサート」~被爆ピアノとともに!~のサポーター(宣伝、受付、渉外、会場準備など)を募集中です。
皆さんのできる範囲でお手伝いいただければ、ありがたいです。

コンサートの詳細はドイツ国際平和村のHPをご覧ください。
https://www.friedensdorf.de/Events-Japan.html

2010年3月6日土曜日

訪問コンサート、無事に終わりました!



昨日、東京・小金井市にある聖ヨハネ会桜町ホームでの訪問コンサートが無事、終わりました。
ピアノ、フルート、ギター、バイオリン、歌など合計9人のメンバーで、童謡、聖歌、ゴスペル、クラシック、演歌などいろいろなジャンルの歌を歌いましたが、お年寄りの方も、ヘルパーさんも、そして私たちも心ゆくまで楽しませていただきました。
聖歌「マラナタ」には手話も付けて、お年寄りの方の呆け防止にもいいですよ!と一緒にやっていただき、大好評でした。

私たちの音楽グループは、今後もホームでの訪問コンサート活動を続けていくため、「Musica Maria」(仮称)と命名されました。「マリア様の音楽」という意味ですが、メンバーの中にまりという名前の人や、マリアのクリスチャンネームを持った人が4人います。

写真は手話ソングを歌っているところです。

これからも和気あいあいと活動を続けていきますので、皆様の応援をお願いいたします。





2010年2月26日金曜日

ティータイム(Teatime)


この間はこのブログの、マリア・エリザベート(Maria Elizabeth)の名前の由来を書きました。
今回はなぜティータイム(Teatime)なのか、説明したいと思います。

私の亡き祖母が表千家の名師匠で、私は子どもの頃から時々、茶席に同席していました。
成人してから、月に一回の土曜日に開かれる茶会で、祖母のお弟子さん達と一緒に手ほどきをしていただきました。
お稽古代は孫の名目でタダでしたが、せっかく習っているのだからと、最低の手習いの免状だけは取得しました。
若い時は、茶道は無駄のない簡素な伝統儀式として、きちんと居住まい正しく祖母とお相手していたのです。
当時はまだ遊びたい盛りでしたし、カトリックだった私にとって教会のミサは、似たような宗教的儀式ではあっても、教会の存在は自由な心を取り戻してくれる場でもあったのです。
しかし、成人してから、プライドの高さと放縦な遊び心との、アンバランスな自分の心をもてあますようになってしまいました。
そこで出会ったのが、イギリス人のピーター・ミルワード神父様の「お茶の巡礼」(河出書房新社)という本でした。
その本のお陰で、すべてのジレンマが解消したのです。

この本は、キリスト教のミサと茶道との間には深い因縁があるとの見方が述べられています。
安土桃山時代に、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが宣教師として日本に来た折に、千利休が、高山右近と同席したキリスト教のミサにヒントを得たものだという説です。

祖母が亡くなった後は、茶席に赴くこともなくなりましたが、せっかく身に付いた技術ですので時々、立礼で点てています。
でももう、ミサはミサで別々、茶道は茶道で別々、と分裂することはなくなりました。

ティータイムと言っても何もイギリスのお茶とは限りませんもの。
日本人であるからには、日本茶は当たり前ですが、お洒落なイギリスのお茶にも憧れます。
人と人を繋ぐ憩いのお茶の話も時々、載せたいと思います。

2010年2月25日木曜日

ドイツ国際平和村支援 LOVE &PEACE チャリティコンサート

ドイツ国際平和村支援
『LOVE & PEACE チャリティコンサート』 音楽と朗読の調べにのせて・・・

【日時】 2010年8月12日午後6時半~8時
【会場】 ドイツ文化会館ホール 107-0052. 東京都港区赤坂7-5-56

【出演】 ◆挨拶 : 日本女子大学ドイツ文学史教授 西山力也  ◆お話:森 峰子 ◆歌 : ソプラノ 丹藤麻砂美、テノール 松尾順二 ◆ピアノ : 上田陽  ◆合唱 : 日本女子大学生涯学習総合センター「ドイツの詩と歌」講座受講生 ◆ピアノ:井戸田由紀子 ◆朗 読 : 飯島晶子 ◆ピアノ : 伊東光介 ◆手話通訳 : 金沢映子  
【企画・構成】飯島晶子、丹藤麻砂美 【主催】ドイツ国際平和村支援
「マリア・エリザベートの音楽の会」代表 森 峰子

<メッセージ> 
平和な日本にあって戦争という事実が過去のものとなった今、戦争の現実感はかなり薄れてきています。 
今、この瞬間、世界のどこかで紛争があり、罪のない子ども達が傷ついているという事実に目を向けてもらうために、感性に訴えかける絵本や音楽のコンサートを開きたい…。 その想いがこの夏、ついに実現することとなりました。
皆様とご一緒に、平和を想うひとときを過ごしたいと思います。

※皆様からのチケットの収益の一部をドイツ国際平和村へ寄付させていただきます

2010年2月22日月曜日

訪問コンサートやります♪

 さて、私のエッセイ出版に際して、多くの方からご好評をいただき、本当に感謝しております。 音楽好きな私の立場を理解していただきたくて、書いたものですが、おかげで音楽の仲間がたくさんできました。この中の何人かで現在、2つのコンサートを企画、準備中です。

 一つは、東京・小金井市にある聖ヨハネ会桜町ホームでの訪問コンサートです。
 あちこちの教会の方など、声楽4人の他、ピアノ2人、バイオリン、ギター、フルートなど8人のメンバーが集まりました。曲目は、「線路は続くよ」「あんたがたどこさ」「肩たたき」「春の小川」「早春賦」「赤とんぼ」といった昔懐かしい童謡の他、「アメイジング・グレイス」「野ばら」「アヴェ・マリア」なども歌います。只今、3月5日(金)の本番に向けてそれぞれ猛練習の最中です。
 
 もう一つは、今夏、8月12日(木)夜開催予定の、ドイツ国際平和村支援の被爆ピアノチャリティコンサートです。松谷みよ子さんの絵本朗読とクラシック音楽の素敵なコンサートです。会場はドイツ文化会館(東京・赤坂)と交渉中です。
 こちらのコンサートの情報は詳細が決まり次第、お知らせいたしますので、もうしばらくお待ちください。

2010年2月20日土曜日

お待たせいたしました!


 「マリア・エリザベートの音楽―拓かれた耳の贈り物」(PHPパブリッシング)の読者の皆様、お待たせいたしました!マリア・エリザベートこと、森峰子さんのブログです。

 もっとマリア・エリザベートさんのお話を読んでみたいという方、毎日の生活のささやかなことから心温まるハートフルエッセイをお贈りしたいと思います。
 
 初めてこのブログから見る人に前作のまえがきを引用して、自己紹介させていただきます。

「本書のタイトルにある「マリア・エリザベート」とは、カトリック教徒であるわたしのクリスチャンネームです。マリアはもちろん、かの有名なイエス・キリストの母、聖マリアのことです。
エリザベートはスペインからポルトガルに嫁いだ王妃でした。王室内の争いに苦心し、また貧しい子どもたちのために変装までして城を出て奉仕活動を行ったそうです。
私は生後3ヶ月頃に、女学生のときにクリスチャンになった母、美保子の意向で洗礼を受けました。
その後、薬の副作用によって聴力を落としましたが、音楽好きなわたしの母の教育のもとで、豊かな音楽体験を受けながら育ったのです。
30代の初めに、補聴器装用をやめたわたしの耳に変化が起こりました。聴覚が拓かれた経験からはじまり、音楽ワークショップ、「第九」合唱などの様々な音楽活動を通して、感性の耳のみならず、心の耳も研ぎ澄ましていきました。
聴覚にハンディがあるというだけで、他者から既成の障害者観を否応なく押し付けられ、自分自身の考えや行動も知らず知らずのうちに制限されてしまいます。キリスト教徒という枠も同様です。
その度にわたしの心や身体は反発し、本当の自分を求めて障害者や宗教的な集まりから飛び出し、普通の女性の生活をしながら新しいマリア・エリザベート像を求めていきました。(後略)」