2013年10月16日水曜日

臨床美術について―その1―

痴呆性患者に及ぼす芸術の影響性について

父が83歳になり、呆けもせずに元気にしていますが、頑固なので今後のことが心配です。十年ほど前に母が亡くなり、娘である私が食事を作ったりしています。大学で少しだけ学んだ老人介護学の知識を持ち出して説得していますが、家族だと身近すぎてあまり言う事を聞きません。ただ、臨床美術資格取得講座で呆け老人の脳の仕組みを知ることができたのはラッキーでした。アルツハイマー病に関する情報を得られ、とりあえず安心しました。脳のどこから人間は呆けていくのか、その仕組みがわかり、まだ早いが、若い人の脳梗塞が増えていることもあり、自分の健康管理にも役立つと思います。

父は元気なうちから呆けない生活習慣をつけるように、それとなくリードしていかなければなりません。些細なことですがある問題について、今までやってうまくいかなかったが、右脳(味覚)からにリードしたら奇跡的にすんなりできたということがありました。どんな頑固な人でも、人間である限りは誰も同じと気づきました。ただ、父は高学歴で、新聞とテレビしか趣味がないような人。美術などのアート分野は画材を出すだけで逃げてしまい、動機づけが難しいのです。恐らく他の右脳活用法を探ることになるかもしれませんが今の所、食事とコンサートに連れて行くしか方法がありません。新たに右脳活用方法をどうやって見つけていくか、方法があれば知りたいぐらいです。今は常に社会性を持てるよう、生活習慣をリードすることを右脳からやってみたいと思います

 ファミリーケアについて

呆け老人のファミリーケアはとても大切なものだと思います。ただ、実際問題が起きたとき、どこに相談したらいいかわからないというようなことが起こるかもしれません。病気やけがのときは病院に行きますが、カウンセリングをするほどでなくてもお年寄りの場合は心療内科扱いなのか、役所の福祉課に行けばいいのかまだ不案内です。

臨床美術で行う「わかちあい」は教会でやっているものと似ていますが、日本人はやはり苦手意識があるでしょう。特に都会ではそういう傾向があるのではないでしょうか。私自身、他人のプライバシーを喋りすぎる人がいて迷惑したので、ちょっと敬遠しています。どんな人が集まるかはとても気になります。「わかちあい」に於いては、カウンセラーに対する信頼感が大きな鍵です。また、カウンセラーだけでなく医師がバックアップしてくれているという安心感はとても大きいと思います。そうして初めて、臨床美術士も自由にのびのびとセッションを行うことができるのかもしれません。

 私はこれまで児童学専門で、子どもと違って老人というのは経験したことがありませんので、お年寄りの扱い方を勉強していくことが大切かもしれませんが、実際問題として難しそうです。それはお年寄りの中には聴覚障害者を軽蔑する傾向がある人がいるからです。ですから、私が主流としてやるのではなく、仲間の臨床美術士をサポートする形ならできそうな気がするのです。

2013年10月11日金曜日

KAMIKAZE―特攻隊と桜


 話はさかのぼって昨年の十二月、東京・外苑の東北芸術工科大学と京都造形芸術大学が作った「東京芸術学舎」でベネチアのビエンナーレ賞を受賞した日本画家、千住博先生氏の講演会がありました。「じぶん学」というシリーズの講座で、大脳生理学者の茂木健一郎と養老猛が続いた後で、とても楽しみにしていました。

 学舎の講義室に現れた先生は、アートの大家とは思えないほど腰が低く元々、教職にある方ではないので、緊張しておられる様子でした。しかし、前面のスクリーンに自分の作品が大写しになると、回転椅子に座ったまま映像の方に向き直り、リラックスされたのでしょう。話が段々、ダイナミックになってきたのです。先生の話は絵画の題材だけにとどまらず、絵の中から飛び出し、グローバル化して宇宙レベルにまで広がっていきました。

  その時にもらったチラシの中に、翌年の一月の終わりに東京文化会館で開催される、「KAMIKAZE―神風―」のお知らせがありました。千住先生がチラシのイラストを描かれただけでなく、舞台芸術まで手掛けるというのです。

 私が十年以上前から親しくさせていただいている大友直人さんも指揮をされるというので、大枚はたいて観に行きました。本当のことを申し上げると、私のお小遣いでは3万円以上もするチケットは本当に無駄遣いでした。そこで私は、このオペラを観るためのバリュー(価値)を定めたのです。それは、

一、        カトリック正義と平和協議会「ピース9の会」のMaria Arts Music PEACE9の一員としての使命を持って観る。

二、        翻訳でない、日本語のオペラを堪能し、イタリアやドイツオペラでは得られない魅力を充分に味わう。

というものでした。
一については、田園調布教会ピース9「地に平和」の冨澤由利子さんをお誘いしました。
二については、母国語なので、喉がカラカラに乾くほど、歌が心に響きました。

このオペラは第二次世界大戦末期の鹿児島の知覧飛行場を舞台にした、反戦オペラで、明日には特攻隊として飛び立つことになる二つのカップルの悲恋で、三枝成彰が作曲したものです。

開演前の緞帳に、千住先生の波の絵がアニメになり、大写しになっていたのには驚きました。抑えの美学を利用した桜の木も大変、素晴らしく印象に残っています。

また、ジョン・健・ヌッツオと小川里美さんと小林沙羅さんたちが日本語の発声法に合わせて、女性はなよなよと、男性はいかつい不動明王のようで、発声器官と身体器官の繋がりが歌唱法と関係があると気付かされました。私たちは外国語オペラのスタイルに慣れらされてしまっていますが、オペラならこう歌う、というのはないのです。

 そして残念なことにラストで、ヒロインが自害してしまうのですが、その頭上から桜の花吹雪が最初はひとひら、そのうち、何枚もはらはらと降ってくるのです。さらに彼女の姿が見えなくなるほど降りしきり、ついには舞台の上に、淡い桜色の雪が深く積もりました。

 桜、桜、桜…、日本人の心は桜なのです。桜餅を食べているように胸がいっぱいになり、悲しいほどヒロインの気持ちが伝わってきました。

 特攻隊というのは、本当は崇高な使命感などないのです。スターリンの鉄のカーテンと同じように、戦争が人を狂わせてしまうのです。村八分になるのを恐れて、志願してしまう人間の弱さ。

こういった時代の精神がまかり通り、全てが絶望と思われた、815日に聖母の奇跡が起こったのは、神のなせる業に他なりません。神は既に私たちの心に何度も回心を呼びかけていたはずですが、音楽が途絶え、勇ましい軍歌に魂は鼓舞され、爆撃や空襲のサイレンの音が日常的になってしまうと、どんな人間でも迷彩色マインドに染まってしまうのです。男は闘わなければならないというのは獲物を捕るためであっても、人と人とが殺し合うことであってはなりません。

聖フランシスコも聖パウロも、戦争で傷ついた若者でした。母の胎内から生まれる瞬間に偶然、立ち合い、赤子の泣き叫ぶ声を聞いた若者は、人間の命の貴さに目覚め、武器を捨てて祈るのです。罪を犯したことのない神のひとり子の姿をその赤子の中に認めたのです。

私は3歳から22歳まで、補聴器を装用していましたが、はっきり言って補聴器を付けても耳に聴こえてくる音は明瞭ではありません。それに慣れてしまうと、暴走族やロック音楽、果ては戦争映画の爆音の方が心地よいと感じてしまうかもしれませんが、自分が心理的にも何等かの異常を被っていることには案外、気づかないのです。グレゴリオもモーツアルトも理解できませんから、精神的にも不安が大きく、はたから見ると落ち着かない子どもだったかもしれません。

そんな私が大きく変わったのは、30代から始めた音楽療法がきっかけでした。音環境によって人間の心も体も大きく影響を受けるということを誰よりも実感した私は、以前よりも音環境に気を配るようになりました。

その一方で、あらゆる騒音から遮断された聴覚障害者の耳は、ある意味でどんな邪悪な世界にも染まらない聖域だと私は思うのです。

さて、オペラを観終わった私はその後、千住先生の桜色に染まった舞台を静かな音の世界の中で思い出す度に今後、このような情緒を味わう舞台は再びないかもしれないと感じています。

今、改めてオペラを振り返ってみますと、三枝成彰の音楽は私の記憶から消えて今、千住先生の舞台と歌手の姿だけが思い出されます。桜の情緒は、日本人の「もののあはれ」の心情を生まれて初めて教えてくれたのです。私にとって、日本人であることは、その文化の素晴らしさに触れるだけでなく、悼みの歴史を伴うものでなければならなかったのです。それが私の因縁の結果とは関係あるかないかではありません。

2013年10月8日火曜日

隠れキリシタンの論理的考察


 
 私は今年から、京都の芸大で博物館学芸員資格課程の勉強をしているのですが、なぜ今、隠れキリシタンの聖母マリア資料を取り上げることにしたのか?という仮題でレポートを書きました。

東日本大震災を挟んで、改憲や原発問題など、日本のカトリック司教団が発した原発反対のメッセージに対して、政府が全く反対の対応を示していますが、そのことについて、私はこれらの問題に隠れキリシタンの歴史にその根拠があるのではないかと思ったのです。

 さて今年の5月に隠れキリシタンのおたあジュリアが流された神津島に行き、それがきっかけで、三浦綾子の「細川ガラシャ夫人」(新潮文庫)と「三木パウロ―安土セミナリオ第一期生」(宇治市役所振興課刊)の隠れキリシタンに関する二つの小説を読みました。その上で、永青文庫でキリシタン大名の高山右近の書を見つけたことなど偶然が重なり、ますますキリシタンに興味を持つようになったのです。

 いろいろなキリシタン絵画資料を美術館や文献で見てきましたが、当時の日本の社会情勢について恐らく、柳田國男の「遠野物語」(内容はよく知らないが)のような時代だったのでしょう。苦難の人生の中で、崇高なヨーロッパの神に救いを求めたキリシタンたちは、究極の選択として、どうして十字架の道を選んだのでしょうか?そしてなぜ、秀吉や家康が罪のないキリシタンを迫害するに至ったのかと考えるようになりました。

 三浦綾子の小説で、これまで裏切り者扱いされていた明智光秀が細川ガラシャの父として、英雄として登場したことで、歴史に対する価値観に大きな方向転換がありました。その光が反転したところにできた影に暴君秀吉の姿が浮び上がり、これまでの疑問が次々に解けたのです。私たちは、アウツビッツのユダヤ人に対して深い同情の念を抱き、ヒトラーを強く批判していますが、どうして同じように秀吉を批判し、キリシタンに同情することができないのでしょうか。そのために、歴史小説に込められた真のメッセージを理解してもらうために、キリシタンの聖遺物を収集し、調査研究して、展示することは大きな意義があるのです。

さらに、戦国武将の妻として苦しみ続けてきた細川ガラシャがなぜ、キリスト教を信じるに至ったのでしょうか?現代社会における諸問題の解決のために、リーダーシップを取れる新たな女性像として、細川ガラシャやおたあジュリアは理想的なのです。彼女ら隠れキリシタンの女性たちの生き様から、西洋の聖母像にモデルを求めるのではなく、自分の足元である日本の歴史のルーツに根差せば、学ぶことがたくさんあるのではないかと思います。

 ところで数年前に、友人のご両親を訪問したとき、彼らがキリシタンの子孫だったことが判明したことがあります。床の間に隠れキリシタンのご先祖様のお写真が飾られていたのですが、このように、国立博物館や南蛮文化館などに所蔵されていない、個人所蔵のコレクションが潜在的にあると考えられます。キリスト教は宗教問題も関わってくるので、カトリック団体がこういった資料館を作り、寄贈を募れば、我らが愛するイエス様の教会なら「奉献」してもいいというケースが予想されるのではないでしょうか。