2012年5月30日水曜日

ミカエル 松浦悟郎補佐司教様

「 彼はわたしを神殿の入口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧きあがって、東の方へ流れていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。 彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南壁から流れていた。(旧約聖書 エゼキエル書「命の水」より 471~2)」

  三年前の夏、私は、東横線から見える小高い丘の上にあるカトリック田園調布教会で、松浦悟郎司教様のお話を聞いたとき恐らく、エキゼルのように言葉が、私の中を駆け巡ったような気がします。

 それまで、私はカルメル会が経営する同じ世田谷宣教体グループの上野毛教会の教会学校のリーダーを十年務め、神父様や子供たち、上野毛の家族のような方々のお蔭で、人間的に大きく成長することができました。しかしその後十年間、私はなかなか飛び立てない仔鳩のような自分から一日も早く、決別しようとしてもがいていました。

 ミサのお説教がわからないから、という口実の元に、上野毛と一番近い田園調布教会の手話ミサに通うようになったある日、大阪教区の補佐司教でいらっしゃる松浦司教様が田園調布教会にいらっしゃったのです。

 司教様はミトラ(宝冠)を被って、一段と高い所にある祭壇から、私たちの信徒席近くまで、下りてこられました。 ミサの式次第やお説教、聖歌などはすべて、手話通訳がついていますが、私はいつも、神父様との一体感を求めて、なるべく自分の意識を司祭と一致させるように努力しています。手話通訳を見つつ、司教様のお声や話しぶりに集中して聞き入りました。そして、いつものようにミサが終わった後、私の中で何かが変わったのです。

田園調布教会は、聖フランシスコの霊性のもとに神の摂理が働いていますから、どちらかというと教区の教会やイエズス会のとは違った、素朴な友愛精神が溢れているところです。また、住宅街の真ん中にありますから、一般社会問題とはかけ離れた感があり、お年寄りや女・子供には天国といったようなのどかさがあります。

 御ミサの後に、言語脳が刺激された手話グループの方々との口八丁手八丁のお喋りは楽しくて、一~二時間があっという間に過ぎてしまうほどです。こんな時間も幸せのうちとは思いつつ、また人生の足踏み状態に陥ってしまうのではないかという不安が心のどこかにありました。

 そんなときに松浦司教様のごミサに与かったのです。その後に私は、教会の喫茶室で冨澤さんという、「地に平和」というカトリック正義と平和協議会「ピース9の会」を作ったおば様にお尋ねしました。
「あの司教様はどなたですか?」
 冨澤さんは、大阪の松浦司教様で、ピース9の会の呼びかけ人でいらっしゃることを教えてくださいました。年齢は六十歳ぐらい、ハンサムでおば様方の中にも人気があるとのことでした。 ハンサムな司教様にミーハーなおば様か…。前の教会でも人気のある神父様がいらっしゃいましたから、最初はそんな印象だったと思います。

 ただ、私の中で長い間、凍り付いたり、生ぬるくなっていた部分に杭が打たれたような感があり、そこから新たな力が湧き出てくるのを感じていました。
 そして、司教様に私のエッセイ「マリア・エリザベートの音楽―拓かれた耳の贈り物―」(PHPパブリッシング㈱刊)をお送りし、それから間もなくして、ドイツ国際平和村支援のチャリティコンサートに協力をお願いするまでにどんな、いきさつがあったのか、自分でも覚えていません。すべて、聖霊がなさったことのようです。

 ただ、私たち戦争と戦後を知らない世代にとって、「ピース9」が掲げる憲法九条のテーマは重たく感じました。平和な今を生きる私たちにとって、戦争とは何か?それは、一昨年のドイツ国際平和村支援「LOVEPEACEチャリティコンサート~音楽と朗読の調べにのせて~」のチラシにも載せたように、

「平和な日本にあって、戦争という事実が過去のものとなった今、戦争の現実感はかなり薄れてきています。今、この瞬間、世界のどこかで紛争があり、罪のない子どもが傷ついているという事実に目を向けてもらうために、感性に訴えかける絵本や音楽のコンサートを開きたい。その想いがこの夏、ついに実現することとなりました。……」
 ヒロシマという過去の惨禍に心を痛めることはできても、現実問題として考えられるテーマとして今、この瞬間、大人たちの醜い争いのために失われ、傷つく罪のない子供たちがいることに目を向けてもらおうと思いました。 

 ちょうどこの頃に、母校の日本女子大学で、卒業生や地域の方に向けて開かれた生涯学習総合センターの「ドイツ歌曲を歌う」講座を受講し、ドイツ文学史の西山力也先生にお目にかかる機会がありました。 ドイツ人のカトリック司祭、アルフォンス・デーケン神父様の聖書講座に出るようになったのもこの頃で、コンサート開催に向けて自信がなくなった頃に何度も、神父様にお会いすることがあり、お祈りと励ましをいただきました。

 最初のチャリティコンサートは、松浦司教様とメールで連絡を取り合いながら、「地に平和」などのピース9の方に協力を得ることができました。しかし不思議なことに東京と大阪と地理的に離れているにも関わらず、どんな困難な状況に陥ることがあっても、司教様の愛が私をいつも、雄々しく奮いたたせてくださったのです。松浦司教様の霊名が聖ミカエルですが、私の妹も同じミカエラでした。ミカエルとは、マリア様を守るために闘う、鎧を着た大天使です。私はコンサートの準備をあたかも、大天使の羽が生えたような身軽さで進めることができたのです。 

 その翌年の七月末には私は四ツ谷にある麹町イグナチオ教会ヨセフホールで、二回目の東日本大震災復興支援被爆ピアノコンサートを開きました。この時、6月にリハーサルがあり、その時私は、コンサートの遂行に不安を感じ、司教様に本番で読み上げていただくためのメッセージをお願いしようと思いました。

 リハーサルの直後に私は、司教様に「メッセージを頂きたいので、大阪まで参ります」とメールしました。 そしてびっくりしたことにはその翌々日の朝、司教様から、
「司教会議が東京であり今、こちらに来ている。今日か明日のお昼休みなら時間があるからいらっしゃい。」           
と予想もしないお返事が来たのです。
とるものもとりあえず、とにかく江東区潮見というところにある中央協議会に生まれて初めて行きました。少し早く着いたので、隣にある潮見教会の聖堂でお祈りしてきました。そこにあった小さな碑を見て、潮見というところはかつて埋立地で、「蟻の町マリア」北原怜子さんがいたところと知りました。

 日本のカトリックの要である中央協議会の建物に入り、毅然とした聖域の空気に触れながら、応接間で司教様を待つことになりました。 

 やがて現れた司教様は昨晩、眠れなかったのか険しい目が充血していらっしゃいました。しかし、よく見るとハンサムなこと!ミーハーなおば様が騒ぐ訳がわかりました。
 俳優の二谷英明よりずっとハンサムで、クールな目元や漂うオーラは、濃縮されたミントのようでした。司教様は、今は、大阪の補佐司教でいらっしゃいますが、以前は名古屋教区司祭だったそうです。そういえば、織田信長のような切れのある目でした。もしかしたら、戦国の世に生きた名武将が、司教様の中で聖ミカエラとして生まれ変わったのかもしれません。

 メールで何度かやりとりしているとはいえ、初対面の私に対して、司教様はほとんどニコリともせず、私の話に聞き入ってくださいました。私も、聖なるもの、崇高なものに対する緊張感もありましたが、時折、私の真面目なジョークに笑ってくださって、安心しました。また、ピース9の会を設立し、同じカトリックの内外部でも非難があるでしょうに、日本の、世界の平和を守るために身をもって立ち上がり、私たちのために体を張って先鞭を取られている姿に感動いたしました。
 結局、メッセージはプログラムの都合上、頂かないことになりましたが、私は司教様に直々にお目にかかれることができ、本当に光栄でした。こんなこと一生にもう二度とないことでしょう。 

 さて、私は七月のコンサートが無事に終わって親しい友人たち数人と、8月の終戦記念日に、自分たちのピース9の会Maria Arts & Music PEACE9を結成しました。その後11月に同じ麹町教会のマリア聖堂で、ピース9の関連で、「君が代と日の丸」に関する司教様の講演会があるというニュースをもらい、皆で聴きに行きました。

 司教様は講演の直前に、東北の被災地で『いますぐ原発の廃止を』発した日本司教団の特別臨時総会があり、それが終わったその足で東京にいらっしゃいました。そして私がそこに見たのはあの、凛々しい司教様ではなく、被災者の苦しみを身に受けて、貧しく小さくなったイエス様だったのです。
 ところが、講演が始まると司教様は、雄弁に力強く、聖書のメッセージを背景に、私たちに、こちら東京ではあまり問題にされていない君が代の問題をわかりやすく解き明かしてくださいました。
 司教様は、インドのマハトマ・ガンジーをとても尊敬しているそうです。司教様の御本に、こう書いていらっしゃいます。
「ガンジーはまるでハンマーで壁を破るように強烈な言葉でガツンとやります。彼の状態に欠けた部分ができ、そこからいやがおうでも(殺された)相手の子どもが見えてしまうのです。(中略)イエスはやはり強烈な言葉でガツンとやり、彼の状態に穴を開けました。自分しか見えない生き方から目を上げて、他者にかかわる行き方へと転換していくことこそ、最も大切なことだと伝えたかったのでしょう」(「報復ではなく、いのちの連鎖へ 『武器なき世界の実現を』」(女子パウロ会)の「平和をきずく人になろう/夢に駆ける」より)
 祈りに於いては貧しく、愛することにおいてはひけらかさず、しかし、ただひたすら狭き門をくぐりぬけ、聖なる光に照らされた神の道を歩んでいらっしゃることを感じました。
 武器ではなく、祈りによって平和を伝え、守り抜きたい、という司教様の祈りが私たち一人一人にも広がりますように!