2013年10月16日水曜日

臨床美術について―その1―

痴呆性患者に及ぼす芸術の影響性について

父が83歳になり、呆けもせずに元気にしていますが、頑固なので今後のことが心配です。十年ほど前に母が亡くなり、娘である私が食事を作ったりしています。大学で少しだけ学んだ老人介護学の知識を持ち出して説得していますが、家族だと身近すぎてあまり言う事を聞きません。ただ、臨床美術資格取得講座で呆け老人の脳の仕組みを知ることができたのはラッキーでした。アルツハイマー病に関する情報を得られ、とりあえず安心しました。脳のどこから人間は呆けていくのか、その仕組みがわかり、まだ早いが、若い人の脳梗塞が増えていることもあり、自分の健康管理にも役立つと思います。

父は元気なうちから呆けない生活習慣をつけるように、それとなくリードしていかなければなりません。些細なことですがある問題について、今までやってうまくいかなかったが、右脳(味覚)からにリードしたら奇跡的にすんなりできたということがありました。どんな頑固な人でも、人間である限りは誰も同じと気づきました。ただ、父は高学歴で、新聞とテレビしか趣味がないような人。美術などのアート分野は画材を出すだけで逃げてしまい、動機づけが難しいのです。恐らく他の右脳活用法を探ることになるかもしれませんが今の所、食事とコンサートに連れて行くしか方法がありません。新たに右脳活用方法をどうやって見つけていくか、方法があれば知りたいぐらいです。今は常に社会性を持てるよう、生活習慣をリードすることを右脳からやってみたいと思います

 ファミリーケアについて

呆け老人のファミリーケアはとても大切なものだと思います。ただ、実際問題が起きたとき、どこに相談したらいいかわからないというようなことが起こるかもしれません。病気やけがのときは病院に行きますが、カウンセリングをするほどでなくてもお年寄りの場合は心療内科扱いなのか、役所の福祉課に行けばいいのかまだ不案内です。

臨床美術で行う「わかちあい」は教会でやっているものと似ていますが、日本人はやはり苦手意識があるでしょう。特に都会ではそういう傾向があるのではないでしょうか。私自身、他人のプライバシーを喋りすぎる人がいて迷惑したので、ちょっと敬遠しています。どんな人が集まるかはとても気になります。「わかちあい」に於いては、カウンセラーに対する信頼感が大きな鍵です。また、カウンセラーだけでなく医師がバックアップしてくれているという安心感はとても大きいと思います。そうして初めて、臨床美術士も自由にのびのびとセッションを行うことができるのかもしれません。

 私はこれまで児童学専門で、子どもと違って老人というのは経験したことがありませんので、お年寄りの扱い方を勉強していくことが大切かもしれませんが、実際問題として難しそうです。それはお年寄りの中には聴覚障害者を軽蔑する傾向がある人がいるからです。ですから、私が主流としてやるのではなく、仲間の臨床美術士をサポートする形ならできそうな気がするのです。

2013年10月11日金曜日

KAMIKAZE―特攻隊と桜


 話はさかのぼって昨年の十二月、東京・外苑の東北芸術工科大学と京都造形芸術大学が作った「東京芸術学舎」でベネチアのビエンナーレ賞を受賞した日本画家、千住博先生氏の講演会がありました。「じぶん学」というシリーズの講座で、大脳生理学者の茂木健一郎と養老猛が続いた後で、とても楽しみにしていました。

 学舎の講義室に現れた先生は、アートの大家とは思えないほど腰が低く元々、教職にある方ではないので、緊張しておられる様子でした。しかし、前面のスクリーンに自分の作品が大写しになると、回転椅子に座ったまま映像の方に向き直り、リラックスされたのでしょう。話が段々、ダイナミックになってきたのです。先生の話は絵画の題材だけにとどまらず、絵の中から飛び出し、グローバル化して宇宙レベルにまで広がっていきました。

  その時にもらったチラシの中に、翌年の一月の終わりに東京文化会館で開催される、「KAMIKAZE―神風―」のお知らせがありました。千住先生がチラシのイラストを描かれただけでなく、舞台芸術まで手掛けるというのです。

 私が十年以上前から親しくさせていただいている大友直人さんも指揮をされるというので、大枚はたいて観に行きました。本当のことを申し上げると、私のお小遣いでは3万円以上もするチケットは本当に無駄遣いでした。そこで私は、このオペラを観るためのバリュー(価値)を定めたのです。それは、

一、        カトリック正義と平和協議会「ピース9の会」のMaria Arts Music PEACE9の一員としての使命を持って観る。

二、        翻訳でない、日本語のオペラを堪能し、イタリアやドイツオペラでは得られない魅力を充分に味わう。

というものでした。
一については、田園調布教会ピース9「地に平和」の冨澤由利子さんをお誘いしました。
二については、母国語なので、喉がカラカラに乾くほど、歌が心に響きました。

このオペラは第二次世界大戦末期の鹿児島の知覧飛行場を舞台にした、反戦オペラで、明日には特攻隊として飛び立つことになる二つのカップルの悲恋で、三枝成彰が作曲したものです。

開演前の緞帳に、千住先生の波の絵がアニメになり、大写しになっていたのには驚きました。抑えの美学を利用した桜の木も大変、素晴らしく印象に残っています。

また、ジョン・健・ヌッツオと小川里美さんと小林沙羅さんたちが日本語の発声法に合わせて、女性はなよなよと、男性はいかつい不動明王のようで、発声器官と身体器官の繋がりが歌唱法と関係があると気付かされました。私たちは外国語オペラのスタイルに慣れらされてしまっていますが、オペラならこう歌う、というのはないのです。

 そして残念なことにラストで、ヒロインが自害してしまうのですが、その頭上から桜の花吹雪が最初はひとひら、そのうち、何枚もはらはらと降ってくるのです。さらに彼女の姿が見えなくなるほど降りしきり、ついには舞台の上に、淡い桜色の雪が深く積もりました。

 桜、桜、桜…、日本人の心は桜なのです。桜餅を食べているように胸がいっぱいになり、悲しいほどヒロインの気持ちが伝わってきました。

 特攻隊というのは、本当は崇高な使命感などないのです。スターリンの鉄のカーテンと同じように、戦争が人を狂わせてしまうのです。村八分になるのを恐れて、志願してしまう人間の弱さ。

こういった時代の精神がまかり通り、全てが絶望と思われた、815日に聖母の奇跡が起こったのは、神のなせる業に他なりません。神は既に私たちの心に何度も回心を呼びかけていたはずですが、音楽が途絶え、勇ましい軍歌に魂は鼓舞され、爆撃や空襲のサイレンの音が日常的になってしまうと、どんな人間でも迷彩色マインドに染まってしまうのです。男は闘わなければならないというのは獲物を捕るためであっても、人と人とが殺し合うことであってはなりません。

聖フランシスコも聖パウロも、戦争で傷ついた若者でした。母の胎内から生まれる瞬間に偶然、立ち合い、赤子の泣き叫ぶ声を聞いた若者は、人間の命の貴さに目覚め、武器を捨てて祈るのです。罪を犯したことのない神のひとり子の姿をその赤子の中に認めたのです。

私は3歳から22歳まで、補聴器を装用していましたが、はっきり言って補聴器を付けても耳に聴こえてくる音は明瞭ではありません。それに慣れてしまうと、暴走族やロック音楽、果ては戦争映画の爆音の方が心地よいと感じてしまうかもしれませんが、自分が心理的にも何等かの異常を被っていることには案外、気づかないのです。グレゴリオもモーツアルトも理解できませんから、精神的にも不安が大きく、はたから見ると落ち着かない子どもだったかもしれません。

そんな私が大きく変わったのは、30代から始めた音楽療法がきっかけでした。音環境によって人間の心も体も大きく影響を受けるということを誰よりも実感した私は、以前よりも音環境に気を配るようになりました。

その一方で、あらゆる騒音から遮断された聴覚障害者の耳は、ある意味でどんな邪悪な世界にも染まらない聖域だと私は思うのです。

さて、オペラを観終わった私はその後、千住先生の桜色に染まった舞台を静かな音の世界の中で思い出す度に今後、このような情緒を味わう舞台は再びないかもしれないと感じています。

今、改めてオペラを振り返ってみますと、三枝成彰の音楽は私の記憶から消えて今、千住先生の舞台と歌手の姿だけが思い出されます。桜の情緒は、日本人の「もののあはれ」の心情を生まれて初めて教えてくれたのです。私にとって、日本人であることは、その文化の素晴らしさに触れるだけでなく、悼みの歴史を伴うものでなければならなかったのです。それが私の因縁の結果とは関係あるかないかではありません。

2013年10月8日火曜日

隠れキリシタンの論理的考察


 
 私は今年から、京都の芸大で博物館学芸員資格課程の勉強をしているのですが、なぜ今、隠れキリシタンの聖母マリア資料を取り上げることにしたのか?という仮題でレポートを書きました。

東日本大震災を挟んで、改憲や原発問題など、日本のカトリック司教団が発した原発反対のメッセージに対して、政府が全く反対の対応を示していますが、そのことについて、私はこれらの問題に隠れキリシタンの歴史にその根拠があるのではないかと思ったのです。

 さて今年の5月に隠れキリシタンのおたあジュリアが流された神津島に行き、それがきっかけで、三浦綾子の「細川ガラシャ夫人」(新潮文庫)と「三木パウロ―安土セミナリオ第一期生」(宇治市役所振興課刊)の隠れキリシタンに関する二つの小説を読みました。その上で、永青文庫でキリシタン大名の高山右近の書を見つけたことなど偶然が重なり、ますますキリシタンに興味を持つようになったのです。

 いろいろなキリシタン絵画資料を美術館や文献で見てきましたが、当時の日本の社会情勢について恐らく、柳田國男の「遠野物語」(内容はよく知らないが)のような時代だったのでしょう。苦難の人生の中で、崇高なヨーロッパの神に救いを求めたキリシタンたちは、究極の選択として、どうして十字架の道を選んだのでしょうか?そしてなぜ、秀吉や家康が罪のないキリシタンを迫害するに至ったのかと考えるようになりました。

 三浦綾子の小説で、これまで裏切り者扱いされていた明智光秀が細川ガラシャの父として、英雄として登場したことで、歴史に対する価値観に大きな方向転換がありました。その光が反転したところにできた影に暴君秀吉の姿が浮び上がり、これまでの疑問が次々に解けたのです。私たちは、アウツビッツのユダヤ人に対して深い同情の念を抱き、ヒトラーを強く批判していますが、どうして同じように秀吉を批判し、キリシタンに同情することができないのでしょうか。そのために、歴史小説に込められた真のメッセージを理解してもらうために、キリシタンの聖遺物を収集し、調査研究して、展示することは大きな意義があるのです。

さらに、戦国武将の妻として苦しみ続けてきた細川ガラシャがなぜ、キリスト教を信じるに至ったのでしょうか?現代社会における諸問題の解決のために、リーダーシップを取れる新たな女性像として、細川ガラシャやおたあジュリアは理想的なのです。彼女ら隠れキリシタンの女性たちの生き様から、西洋の聖母像にモデルを求めるのではなく、自分の足元である日本の歴史のルーツに根差せば、学ぶことがたくさんあるのではないかと思います。

 ところで数年前に、友人のご両親を訪問したとき、彼らがキリシタンの子孫だったことが判明したことがあります。床の間に隠れキリシタンのご先祖様のお写真が飾られていたのですが、このように、国立博物館や南蛮文化館などに所蔵されていない、個人所蔵のコレクションが潜在的にあると考えられます。キリスト教は宗教問題も関わってくるので、カトリック団体がこういった資料館を作り、寄贈を募れば、我らが愛するイエス様の教会なら「奉献」してもいいというケースが予想されるのではないでしょうか。

 

2013年8月16日金曜日

東日本大震災復興支援「わたしのヒロシマ」~絵本朗読と音楽で平和のメッセージを~

 今年の8月6日の広島原爆記念日に、下北沢にあるカトリック世田谷教会カマボコ部屋で、麻布教会の瀧浦萌さんに出演していただいた、東日本大震災復興支援「わたしのヒロシマ」~絵本朗読と音楽で平和のメッセージを~コンサートが無事、終了いたしました。 皆様のお蔭で用意していたチケットは完売し、カリタス・ジャパンに約5万円の支援金を送ることができました。皆様のご協力を心より感謝申し上げます。

コンサート本番当日、にわか雨で少し凌ぎやすくなった晩に、普段は陶芸教室などに使われているカマボコ部屋が50名ほどの人でいっぱいになりました。このカマボコ部屋は、第二次世界大戦後に麻布教会に以前にあったのと同じ、GHQの兵舎だった建物ですが、前任の佐久間彪神父様(「マリア様のこころ」の作詞者)も、陸軍士官学校に行くか神学校に入るか迷ったとかいうエピソードがあり、何か歴史的遺産にもなりそうなところです。

さて私が月に一度、手話ソングの練習のためお借りしている縁で、ここで絵本朗読コンサートをやろうという話が持ち上がりました。このグループCross Sign Chorusも、一昨年の世田谷教会での平和旬間祈念ミサで再会した亡き母の友人たちとで結成しましたので、巡り巡って神様のご計画通りになったようなものです。

朗読家の春日玲さんと、ピアノと様々なアンサンブル楽器を使ってユニークな即興演奏をされる、うららさんによる「わたしのヒロシマ」の絵本朗読コンサート。被爆者である森本順子さんがご自身で描かれたイラストを上映いたしましたが、大熊明希さんにはPCとプロジェクター機器を難なくコントロールしていただき、本当に頼もしい限りでした。

続いて、瀧浦萌さんが歌う「ごらんよそらのとり」と「ふるさと」に合わせて、私たちも手話ソングで日頃の成果を披露しました。ピアノ伴奏は世田谷教会のオルガン担当の内村真由美さん。彼女は、第Ⅱ部での私の自作エッセイ朗読「被爆した聖マリア像」や、手話ソング“Amazing Grace”の伴奏もしてくれました。

コンサートの最後は、萌さんと友人の神田麻衣さんのピアノ伴奏による、クラシック音楽の夕べ。“Ave Maria”や“Pie Jesus”を聴いて魂を癒した後は、オペラのアリアや金子みすゞの歌などで、いらしてくださったお客様と共に、心にしみる豊かなメロディーに耳を傾けました。

さて裏話ですが、Cross Sign Chorusのメンバーで、母の友人である石原景子さんの息子さんのお宅が偶然にも、瀧浦さんのお隣だったということがありました。そのお陰で教会は違っても、親戚のように皆さんの気持ちが一つになりました。たまたま知り合った友人が司会者だったり、石原さんの姉の百鳥さんとお友達が手作りのお弁当が差し入れてくださったり、ボランティアの輪があっという間に広がり、びっくりしました。

ところで、カマボコ部屋は世田谷教会敷地内にありますが、地域に開かれたボランティアセンターとしての役割を担っているそうです。カトリック信徒だけでなく、一般のお客様にいらしてくださり、教会に馴染みのない方々にも親しんでいただき、ささやかながらも神様のお手伝いができたことに感謝しています。

2013年8月13日火曜日

キリシタンの心―高山右近の書

    みこころに養われ 御血潮に心燃え
  救いの水 きよめませ
  み体の十字架を 受け入れぬ 頑なな
  我を恥じて 主に祈る
               (カトリック聖歌集二八七番)

  神に生かされたキリシタンの心。それは高山右近にもあったのでしょうか。
 
  目白通りの東京カテドラルの斜向かいの小路から早稲田方面に下って行くと、途中で和敬塾が見えてきますが、その少し先に、永青文庫という、かつて細川氏のご邸宅だったところでそのまま、考古館になっているところがあります。ここで、細川幽斎所縁の茶道具が展示されている、というので女子大の図書館の帰りに寄ってみました。
 古い蔵造りの建物の中を狭い、急な階段を三階まで上って行き、最上階から順に観ていきます。二階の展示室に入ってすぐのショーケースの向こうに、幽斎の書が掛かっていたのですが、大変な達筆で、その行間には生真面目なお人柄さえ偲ばれました。
 しかし、その隣に並んで掛かっている書を観たとき、私の心はかすかに躍りました。幽斎のよりはやや、丸みを帯びていますが、装飾されたアルファベットの筆記体のようにも見えるその作品は、高山右近のものでした。建前がまかり通る武士社会の中にありながら、神と共に生きている人の感受性が筆跡の中に込められており、これが右近の生き様なのだとさえ感じられました。

 ところで私の母方の先祖に、戦国時代に肥後藩主の細川家の家臣で、安場九左衛門という人がいました。叔父の安場保吉が編纂した「安場保和伝」(藤原書店)には、次のように記されています。
「祖先は陸奥の豪族といわれ、南北朝時代に安藤姓で南部家に仕えたこともあるが、戦国時代には安藤(伊賀守)守就が西美濃三人衆の一人として、斉藤道三、織田信長に仕えたとも言われている。(中略)この安藤守就は、天正八年に、かつて武田信玄へ嫡子尚就が内通した件にて信長に美濃の領地を没収され追放となる。その後、本能寺の変に乗じ旧領の回復を図るも、新領主の稲葉氏に敗れ討ち死にする。その子は伊賀の安場村に落ち延び、伊賀三郎を名乗り、後、服部姓を称す。
 成人後、慶長五(一六〇〇)年、丹後の細川忠興に二〇〇石で召し出され、名を安場九左衛門と改める。同年、忠興田辺籠城の折、九左衛門は敵方の小野木緯殿助の営の堀を潜行して中に入り、情勢をさぐって、忠興公に報告し、後その功により、兜に前立てを付けることを許された」

かの有名な細川ガラシャ夫人の事は若い頃から名前だけは聞いており、叔母に連れられて彼女が住んでいた京都・長岡京市の勝竜寺城址を訪ねたこともあります。しかし、どういうわけかこのガラシャが、安場と深い繋がりがあることは、最近まで知りませんでした。学芸員の資格を取るために今、博物館などを回って調査研究をしていますが、先々月に、東洋文庫で開催されていた「東洋の貴婦人 マリー・アントワネットと細川ガラシャ」展に行く機会がありました。ガラシャ所縁の様々な展示物を観終えた後、何か魂の奥底から呼びかける声が聞こえ、それまで何度も読もうと思いながらなかなか読まなかった三浦綾子の「細川ガラシャ夫人」をやっと購入したのです。
  身内に近い人だからというわけではなく唯今、高山右近の列福調査も進んでいる故、何か右近についての真実を掴もうと、この小説を読んでいる間は自分もガラシャ夫人になったような気さえするのです。その上で、右近と幽斉の書を観た後でしたから、お二人の人となりが本当に生き生きと伝わってきて、歴史小説が何倍も面白くなってきます。学芸員冥利といいますか、気難しいイメージのある博物館でもこういう使い方もできることは大きな発見でした。
  この右近ですが、幽斎の息子の忠興夫人であるガラシャでさえも心惹かれる高潔なお人柄だったそうです。やはり不思議に思うのは、カトリック大名としてよく知られ、利休の七哲に数えられながら、戦国名武将であり、戦にも長けた人であったということです。
  私は数年前に、上智大学外国語学部仏語学科の名誉教授で、外国語教育の専門家のイエズス会のカナダ人のクロード・ロベルジェ神父様と日本人の言調論について話した事がありますが、この時、教授が正月に大相撲の初場所を観たのか、
「日本人って、格闘の合間に礼儀正しい挨拶をするんだな」
とか言って驚いておられた事がありました。右近の戦と茶道の感覚もそれと同じかもしれません。
 
 それより数年前に女子大付属高校で英語を教えているアメリカ人の言語学者 のマーク・レッドベター先生が、日本人は「膠着状態に陥る癖がある」と言っていましたが、左脳型の日本人は、第二次世界大戦も特攻隊も実は、使命感というものはほとんどなく、単に脳のバランスを取ろうと選択した道が戦争だったということかもしれません。
  恐ろしいことですが、茶道のお点前で、茶筅を持ったお手付きがそのまま、刀に代わってもおかしくないと思うことがあります。

昨日、平和旬間のミサがカトリック成城教会で、森一弘司教様司式で執り行われました。その時の閉祭の歌が、「平和の歌―ヌチドゥ・タカラ」でした。
 
  戦争は人間の仕業  
  平和は正義のわざ 
  愛の実り
  剣は鋤に 槍は鎌に 打ち直そう
  戦争は愚かなこと
  ヌチドゥ・タカラ ヌチドゥ・タカラ
  与えられた あらゆるものの命を 大切にしよう
   
  緑茶は、湿気の多い日本の気候に合っており、サバサバした和やかな味がして、茶道は葡萄酒を使われるカトリックのミサとよく似たお点前が見られることはよく知られています。しかし、生け贄の仔羊の血を奉る聖餐式は、血も涙もない戦場から戻り、血生臭い記憶を浄める茶道とは違って、罪の無いイエス・キリストの血潮を通して、憐みの人となる恵みの儀式といえるのではないかと私は思います。

 
 

2013年7月27日土曜日

東日本大震災復興支援「わたしのヒロシマ」~絵本朗読と音楽で平和のメッセージを~


東日本大震災復興支援2013 
「わたしのヒロシマ」
~絵本朗読と音楽で平和のメッセージを~  
(手話通訳付き)

 
日時:2013年8月6日(火)19:00開演(18:30開場)
会場:カトリック世田谷教会 カマボコ部屋 

東京都世田谷区北沢1-45-12 [下北沢駅・池の上徒歩7]
 
出演者】朗読:春日 玲/ピアノ:うらら/声楽(ソプラノ):瀧浦 萌/ピアノ:神田麻衣

 
プログラム】
第一部: 絵本朗読「わたしのヒロシマ」森本順子 絵/文(手話通訳付)
第ニ部: 声楽コンサート(映像付き),Ave Maria”,Amazing Grace”,「ごらんよ空のとり」他

【チケット代金】2,000円(全席自由)
 
[企画]マリア・エリザベートの音楽の会
 
[主催]Cross Sign Chorus
[協力]"Maria Arts & Music PEACE9"
 
お問い合わせ・お申込み…FAX:03-3401-8750(森)まで
 

2013年7月10日水曜日

プリンセス・シンドロームからの脱皮―サファイアの心

  少し昔、「シンデレラ・コンプレックスシンドローム」という言葉が流行語になったことがあります。私はこの本を、阪神大震災の日に穂高のホリスティック施設で読んで、静かに自分の中で何か大きな天の岩戸がきしみながら動くのを感じました。それから私の中で衣を一枚、一枚脱ぎ捨てるように、本来あるべき自分の姿が明らかになり、そうして新たな人生の展望が開けてきました。それは、私自身のプリンセス・シンドロームからの脱皮でした。


 私の洗礼名、聖マリア・エリザベートは、1人はイエス・キリストの母・マリアと、もう一人はポルトガルの王妃です。私は生まれて4か月目に受洗したのですが、この日がちょうどエリザベートの祝日でした。何故、母がポルトガルの王妃を選んだのかはわかりません。叔母がハンガリーの聖エリザベート王妃で、彼女の聖徳を慕ってその名をとったそうです。ポルトガルのについて書かれたものはほとんどなく、「聖人たちの生涯―現代的聖者175選」(池田敏雄著・中央出版社刊)に僅かに記されています。
「平和のためにはたらく人はしあわせである。かれらは神の子と呼ばれるであろうから」(マタイ59)。
戦国時代さながら内紛の多い王室を苦心して丸め、夫と息子の争いには、ハンサムウーマンのごとく、戦場に乗り込んで仲直りさせたそうです。いろいろとゴタゴタの多い時代でしたが、「どこにいてもミサに与りなさい。そのために費やした時間は必ず報いられるから」というのが彼女の父からのメッセージでした。
その一方で、慈善事業にも熱心でした。孤児の子女に技術を教えたり、礼儀作法を教えたりする農業大学を作ったそうです。
ところで当時のポルトガル王室では夜な夜な、晩さん会が繰り広げられたことでしょう。昨年、近所の大きな音楽ホールで「鹿鳴館時代」の展示会がありました。私の曾曾祖父の代は恐らく、この華やかなりし人々に属していたのでしょう。夢見るような会場の造りにしばし、うっとりドレスを着た自分の姿まで思い浮かべました。
その展示の中には、当時のイエズス会士が日本の事を伝えるためにスペインの本部に送った手紙などもありました。そしてそれを観終えた後、私は直接、自宅には戻らずに、聖フランシスコ・ザビエルと聖エリザベートからの啓示を受けて、その足で麹町教会の夕方のミサに与りました。しかし聖堂に辿り着くまでの約45分間、私はひどい鬱状態に陥っていたのです。当時のお嬢様方も同じような虚無感に苛まされたかもしれないと思いながら、私の母が聖心の学生だったときに洗礼を受けた理由がわかるような気がしました。
さて、イタリアの貴族のお嬢様は日本とは違って、20歳になるまではブランド品はほとんど持たないそうです。成人してからは、自分の内面に相応しいものを一つずつ、揃えていくのだそうです。母達の若いころならいざ知らず、私たちの世代ではもうすっかり庶民感覚が行き渡っていますので、そんなものは数えるほどしか持っていませんが…。
ここでイタリアの話が出ましたが、皇家ボルゲーゼのアレッサンドラ嬢の「新たな目で新たな旅立ち」という本が2007年に女子パウロ会から出版されています。彼女はトラブル続きだった青春時代を過ぎた後に、神への回帰によって新たな切り口を見出しましたが、偶然にも、私と同じ年のジャーナリストでした。
彼女の本は、少し崇高な宗教書が読みにくいという方にお勧めの一冊ですが、私は彼女の文章の中にサファイアの心を感じました。
マリア様の心 それはサファイア
私たちもほしい 光るサファイア
    (「マリアさまの心」作詞 佐久間彪)
 ところで、我が家から少し行った表通りに面したところにちょっと大きな宝石屋さんがあります。いつも瀟洒な車が止まり、店員が恭しくお辞儀してくるので、おそらく有名なお店なのかもしれません。あるとき私はこの店の前を通るときに、この歌を思い出しました。本物の石は高くて、とても買えませんが、自分の心の中にサファイアがあるとイメージしてみました。すると不思議なことに、サファイアの意識が自分に宿って一瞬、崇高な気持ちになったのです。そうしますと、周りの景色が突然、澄んで見えてき、神の眼差しを感じました。
さて、サファイアの石言葉は、「慈愛」「誠実」「貞操」だそうです。ルビーと同じ成分らしいのですが、祖母や母の徳に倣って付けられた霊名は、私には過分なものですが、せめてイメージの世界だけでも、サファイアブルーの中に住めたら幸せと思っています。
 


2013年5月10日金曜日

「聖書」と「浦島太郎」―脳の中で反転する神の世界

 

「闇に住む民は大いなる光を見た」(新約聖書ルカによる福音書 第2章)
聖誕劇の冒頭シーンです。

これを手話で表現する時に右利きの人ならば、「光」という言葉は、頭の右上から光が射してくる様子を表現します。しかしそれは、音声を伴った場合の視覚的な光景です。

次に静かに目を閉じて、心の中でこの風景を思い浮かべてみますと今度は、画像が反転して、意識の闇の中で左上からほのかに一筋の光が見え、天使の大群がその中を行ったり来たり、神々しい神のメッセージを奏でるのです。たとえ、音楽がわずかしか聞こえなくても私の脳の中では、豊かな音の世界が再現されるのです。

ところで私たちは美術館に行った時に、聖書をモチーフにして描かれた名画をたくさん観る事ができます。そして、キリスト教の神のイメージは元来、右脳型であり、ヨーロッパから伝わった教会建築や芸術作品そして宗教音楽にそれが最も顕著に表れていることはよく知られています。

西洋の神概念は、暗黒の闇と闘い続けた民にもたらされた光であり、音楽で言えばホワイトノイズのようなものです。東洋医学の陰陽説にも、光に中に闇があり、闇の中に光があるという図があります。神様のお恵みは、日常性を離れた非日常の中での、叡智と悟り、インスピレーションそして回心などの言葉によって表れてきます。これは、脳分析でいうと右脳の大脳新皮質領域にあたるそうです。つまり、この領域はせっせと働くマルタではなく、イエス様の御言葉に耳を傾け、あれこれ思い巡らすマリア様の脳なのです。

しかし、左脳型で言語処理をしてしまう傾向のある日本人にとっては、働きバチの脳は必然的なものであり、ゆとりがないと非難されながらも、どうしても余裕をもって休暇を過ごせないし、文部科学省がわざわざ定めた「ゆとり教育」も定着しませんでした。それは日本語を使うが故に、日本人の耳はどうしても何か言葉や「文化」=文字に化けたものに膠着してしまうためで、文化にしがみつくことで、神にすがっている気になるからでしょうか。

そんな日本人の描く絵には、西欧人のそれとは違って、光の中に闇が貫くような描写が多いような気がします。墨汁一色で描くだけならいいですが、彩色した優しい平和そのものの絵の中に突然、黒い鋭い描写を書き込む表現が見られるのです。文字の一種なのかわかりませんが、脳の中で画像と言葉がどうしても同じ空間に位置せずに分裂してしまうのです。

ところでずっと以前に、六十歳の時に心臓発作で亡くなられたカルメル会の小島尚徳神父様がある時、待降節の御ミサのお説教の時に

「クリスマスはメルヘンです」

と、仰った事があります。聖書にはメルヘンとしてのたとえ話がたくさんありますが、それは光の文字で書かれた非現実的なお話です。でもそれは、私たちの脳がバランスよく働くためにはとても大切な要素なのです。  

さて話は変わりますが私は数年前、ある英会話教室に通っていましたが普段、使っていない言語を話すと脳転換になり、また楽しいイベント続きで英語のオールラウンドプレーヤーになれそうな気がしました。しかし数年して、その学校は経営難で閉鎖してしまったのです。そしてその時に私の頭にどういうわけか、「浦島太郎」という日本のメルヘンが頭に浮かんだのです。

子供の頃に読んだ童話がどうして?と思いましたが、その理由はつまり、その時に英会話学校で学んでいた老若男女の日本人全員が知っているメルヘンが「浦島太郎」だったからかもしれません。聖書ではなく、私たちの潜在意識の中に、乙姫様と遊び戯れて、気が付いたら年をとってしまった浦島太郎が宿っているから、それが現実として起こったのです。

その英会話学校のマネージャーだった女性がその後、アメリカの大統領や野球の一流プレーヤーも受けたという潜在意識トレーニングであるNLPのトレーナーの資格を取得して、私たちに講習してくれました。そして彼女曰く、「現実に起こっていることは、自分の脳内世界だ」ということでした。

どんな優れた童話にも偉人伝にも、神のメッセージは込められているでしょう。でも、私たちの心の奥深いところに、聖誕劇から主のご復活までの救いのドラマを、「天地創造万物である父なる神」と、「イエス・キリストの霊を通して語られる御言葉」と「それを名画として、自分の中に再現する私たちの小さな神」を通して刻み付けておかなければ、私たちはたやすく偶像に惑わされてしまいかねません。

2013年4月1日月曜日

桜と母マリア

 

   今年もまた、桜の季節がやってきました。復活祭より一足先にお花見シーズンが始まりますが、何年か前には節制を勧める聖週間とピッタリ重なったこともあったように記憶しています。お花見の席で浮かれる人たちを尻目に、大斎するか小斎するか迷う度に何故、日本にキリスト教が伝来したのかと懐疑的になったこともありました。

   今年は復活祭の朝に2週間近く咲き続けた麻布教会敷地内の染井吉野が満開になり、ミサが終わった頃に散り始めて可愛らしい若葉が萌え出てきました。気のせいか最近、やっと日本の四季の移り変わりと教会暦が一致してきたように思います。 

   さて今年も青山霊園を散策しましたが、その時、歩いているのはなぜか私ではなく、娘の私を亡くした母・森美保子でした。娘を亡くした母の気持ではどうだったのでしょうか、それは寂しいというよりは、半人前の母と私が交互に生きているという不思議な時間でした。
   母と私にはそれぞれ、いつまでも一人前になれないもどかしさがありましたが、そういえばもうすぐ母の命日です。満開の桜と散りかかる桜吹雪とうっすらと色づき始めた桜色のカーペットの中を10分以上、歩いていましたらなぜか涙がポロポロ出てきました。  
 子どもの頃から兄や妹に「峰ちゃんはよく泣くから…」とからかわれていましたがある時、自分の泣き顔を鏡で見たら、泣いている時の母にそっくりなので、今では涙が出ると鏡を見ています。そうして母にもう一度、出会うのです。
   母は私が泣くと、涙でグチュグチュになった小さなティッシュペーパーでさらに私の鼻の周りを拭いて、一緒に泣いてくれたことがありました。実は私は自分で云うのも可笑しいのですが、自分の涙が好きなので、鼻から唇にしたたり落ちるのを舐めたりするのです。なぜかってそれは母と同じA型の血から体内分離されて出来たものだからです。 

   ところで今、国立西洋美術館でラファエロ展が開催されており、そのポスターのイエス様を抱いていらっしゃるマリア様のお顔は、穏やかな涙腺を感じます。

   われらの母なる 恵みのマリア  
 御許に集えば 人みな楽し  
 涙の谷にも 花咲き乱れる
   香りもゆかしく 喜び満たす
                       (カトリック聖歌集307番) 

 私は昔、ブツブツお祈りするのが苦手で、聖歌集の緩やかなメロディーのある日本語のマリア様の歌を思いつくままに歌っていました。こんなロザリオの祈りもあっていいのではないかと思います。ラファエロのマリア様はワインレッドですが、日本のマリア様は世知辛い世にあっても、優しい桜色のお衣が似合う人であってほしいです。