2011年9月30日金曜日

「なんて、熱いおじさんなんだ!」


9月の連休のはじめに、女子パウロ会で開催された朝日新聞ロサンゼルス支局長だった伊藤千尋さんという方の「活憲・自然エネルギー、市民力」という講演会に行ってきました。
ニューヨークテロのちょうど二週間前に着任し、全米民のパニックが続く中で取材をし続けたそうです。

その後は沖縄問題などをルポしていましたが最近は、憲法九条や自然エネルギー問題に関する講演で、あちこちで話題になっています。

「あけぼの」(女子パウロ会)に掲載された記事があり、たくさんの専門用語が出てきそうでしたので、手話通訳ではなく、要約筆記というボランティアを2人同行して、聴講させていただきました。 
私の耳には伊藤さんのお話はやや不明瞭でも、語感とか語調とかはちゃんと伝わってきていますので、ノートを見ながら拝聴したわけです。

その講演の感想はひとことで言うと、「なんて熱いおじさんなんだ!」でした。
講演が始まったのが午後2時、1時間半のお話の間に、10分か15分の休憩があるはずでした。
しかし、休憩なしで、ぶっ通しで話し続けその間、誰一人として席を立たなかったのです。
3時半を過ぎた頃、司会のシスターが5分だけ休憩にします、と言って再開しました。
しかしまた、10分だけ市民エネルギーについて話しますと言ったものの、さらに30分も話し続けるほどの熱さでした。
最後には、ご自分が朝日新聞の編集部にいるにも関わらず、原発容認派の社長に対する怒りをぶちまけ、「皆んな、朝日新聞を買うな!」と叫んで、聴衆から拍手喝さいを受けたのです。

今回のおじさんの話は、主に自然エネルギー、特に地熱エネルギーに関するものでした。
今、日本で稼働している地熱エネルギーは僅か0.2%だそうです。
日本列島は、環太平洋火山帯に属しているから、どんどん活用すれば、原発にとって代わるエネルギー源になるはずだ、というのがそのおじさんの論です。

 ドイツは早々と脱原発をしたし、イタリアもスペインも、スイスでは物理学者が首相になったそうです。
これから、日本の政治家はもっと血の通う、かつ自然エネルギー問題に関して、現実的にシュミレーションできる人がなるべきだと思います。
アメリカに黒人大統領が生まれたように、今こそ、世界と歩調を合わせて方向転換するべきだと思います。新しい船に乗りかかれない政治家は、ひっそりと隠遁してほしいぐらいです。

同じに熱くなるのでも、自分のエゴのために熱くなる人は嫌だけど、神様のために熱くなる人は応援してあげたくなるものです。
頑張れ!おじさん!

2011年9月28日水曜日

レイチェル・カーソンの「感性の森」と「ピース9の会」





映画の冒頭のシーンで、レイチェル・カーソンが森の中で、まだ見たことのない鳥の姿を双眼鏡で追っています。鳥の神秘的な鳴き声に耳を澄ませると一瞬、恍惚としたような表情が彼女の顔に浮かびます。私も彼女の聴いている鳥の声を感じたいと憧れを抱くのです。

しかし、私の左耳はなぜか、不自由ながらも敏感なアンテナを持っていて、その研ぎ澄まされた感性がときには詩的な言葉を生み出すことがあります。その耳は時には、人間には聴こえない空気の流れを読み取り、また沈思黙考した時には、地球の鼓動さえも感じ取ることができます。逆に40代を過ぎて、右耳が拓いた時は、聴覚のバランスを取るために、遠くの宇宙のこだまを聴こうとする姿勢も生まれました。

ところで最近、明日にはもう上映時間が終わるという日に、この映画「感性の森(”Sense of Wonder")を観ました。
最初、この映画のチラシが可愛らしい貝殻や草花の写真を見て、私は単なるアーティストの物語かと思っていました。しかし、中身は予想したものとは全く違っていました。1960年代、つまり私たちが生まれた頃ですが、殺虫剤や農薬(DDT)問題を最初に警告した女性ジャーナリストのドキュメンタリーだったのです。

彼女は森林の農薬散布の現状を暴いた「沈黙の春」を書き、それがベスト・セラーになりました。しかし、彼女の主張が不都合な人々によって、「ヒステリックな女性」と呼ばれるようになってしまいました(パンフレットより)。それにも拘わらず、彼女は真実を訴え続け、やがてそれは私たちが環境問題の深刻さに気付くきっかけとなったのです。

この映画で私が感銘を受けたことの一つは、これらの環境問題は今や常識となっていますが、それまで「何だか、体に害がありそうだけど、誰も文句いわないし、まあいいか」と見過ごされてきた事実を敢えて問題視し、様々な困難や中傷にも負けずに毅然と、しかし淡々と自分の主張を貫き通したことです。
私が子どものころに見た、「サザエさん」という長谷川町子さんが描いた漫画に、環境問題について取り上げたものがあったのを覚えています。

主婦たちが集まってホームパーティを開いているのですが、添加物が入っていないからカビが生えてしまったチーズの方が安全だと云って嬉々として食べるというストーリーだったと思います。

今では、お店を選べば、添加物の入っているものを探すのが難しいという有り難い時代になりましたが、人間の感性は、歴史の中で圧政者や科学の行き過ぎた進歩によってごまかされ続けました。その産物が未だにところどころに転がっています。

砂漠に落ちたダイヤモンドを探すのも大変ですが、珊瑚礁が減り続けているという現実に気付き、海を汚さないように、自然界の生物多様性を壊さないようにすることも同じぐらい大切な事です。私たちはどちらを優先するべきでしょうか?

事実を見逃すことはたやすいことです。でもその問題に一番近い場所にいる誰かが、その現実を知ったときに、勇気を持って真実を証しし、行動すること…それには、
「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」というイエス様の言葉が私たちに力を与えてくれます。私たちの預言者は今や必ず、聖霊となって甦り、私たちを助けてくれるのです。

ピーター・ラビットの作者「ミス・ポター」や、奴隷貿易問題を扱った「アメイジング・グレイス」の映画も同じでした。男性であれ女性であれ、戦争で勝つ武勇伝ではなく、「義のために働く」人達の姿が私の心を打ったのです。

それは、明治維新で功労し、華族の称号を擁いた後藤新平と血のつながりのある、安場という家の宿命が私の中に欠片ほど残っていたからかもしれません。この後藤新平の孫である、大伯母の鶴見和子さんも、日本に於いて、水俣問題に取り組んだカーソンでした。

安場保和という人は今では珍しい、清廉潔白の政治家として知られていますが、福岡県令(昔の知事)を務めたことがあります。顎の形と血液型(私が祖父と同じなので恐らく?)が遺伝していることもあり、その血がどうしても騒ぐのかもしれないとも思います。

でも、私はテレビの政治ニュースを見るぐらいならテレビを見ないほどなのです。どうせ茶番劇ですし、見るだけで感性の目が汚れてしまうからです。今では原発問題は私たち個人の力ではどうにもならないし、そんな事に腹を立てるのはみっともないからと、大人しく羊のようにボランティアする人もいます。けれど私はなぜかそういう人、特に男の人をみると却って(笑い過ぎてではなく)脇腹が痛くなるのです。

もう一人、父方の祖父は優秀な弁護士でした。カトリック正義と平和協議会の中にある2つの言葉が、我が家の旗印だったのです。祖父は、部下を招いての宴会でもお酒は飲まなかったと聞きました。肝臓が悪かったのかもしれません。人間には肝臓という臓器が生来、備わっていますが、それは怒りの感情をもたらします。怒ると体に良くないといいますが、「怒るに遅く憐れみ深い神」でさえ、怒りを貯めるとグリコーゲンが燃焼仕切らずに、脂肪肝(フォアグラ)になりそうです。

しかし、その怒りが平和のためのエネルギーに向けられるためにあるとすれば、それは私たちに与えられた神の恵みであるともいえるのです。

一昨年の夏に、たまたま田園調布教会で、松浦補佐司教様の御ミサに与かったことがきっかけで、私の中にかなり長い間、忘れていた一種のバランス感覚が蘇り、脇腹の痛みが癒えました。それは青山の国連大学の前を通った時、国連英検を受けた時、そしてニューヨークの国連本部に行った時と同じでした。

そうこうして自分の足跡を逆に辿っているうちに、私はある記憶に行き着きました。それは私が生後一年目から45年以上、そして今も暮らしている我が家の道路一つ隔てた向かいに、数年前まで防衛庁があったことです。

防衛庁と言えば、私は生協でさえ、一度も入ったことはありません。向かいに見える高い塀の上に金網の張っている監視台があり、妹などは小さい頃は、カーキ色の制服を着ていましたが、単なるおまわりさんだと思っていたそうですが、今思えば、ものものしい雰囲気さえ漂っていたと思います。

一方、私たちの日常生活の場である我が家では、3人の聴覚障害児の賑やかな声が一日中、聞こえていました。またそれだけでなく、私の母にとっては子どもたちの聴覚障害と、それに伴う様々な健康、教育的な問題を乗り越えるだけで精一杯でした。国防の事は全く無関心で、母子共々、奮闘する日々が続いていたのです。その塀の中の懲りない昭和の兵隊さん達が、あの殺伐とした世界と日常的に関わっていたなどとは考える由もありませんでした。

しかし防衛庁が無くなり、東京ミッドタウンという、いくつかの大きな美術館のある、世界でも最もおしゃれで、センスのいい人たちが集まる高層エリアになりました。そして、私の体に長い間、知らず知らずのうちに抑圧され、蓄積された怒りの感情がくすぶりだしたのです。その感情が私の体のある部分に不快な塊のように残っていて時にはそのために動けないこともありました。それを発散するためのカウンセリングも受けましたが、なんとも生ぬるくてやる気さえ起こりません。

防衛庁の建っていた街に自衛隊の名残があったせいかもしれませんが、N.Y.の国連本部でブルーヘルメットの写真を見た時、カーキ色や迷彩色の兵隊さんは好かないけど、こちらは格好よくて清々しいと思いました。日本の国連のインターンシップのボランティアにも応募しましたが、英語力が足りないために採用されませんでした。

そんなこんなで半ば諦めかけていた矢先に、私は「憲法九条を世界の宝に ピース9の会」講師を務めていらっしゃる、松浦司教様に出会ったのです。そのミサ後、私は田園調布教会のピース9の会「地に平和」の富澤さんに言いました。私たちのような若い(!?) 人、アーティストの友人たちなどは、固い憲法の話は敬遠してしまうから、音楽や絵本朗読で平和を訴えた方がいい、と。しかし、その時は新ピース9の会を設立する気持ちは全くありませんでした。

そしてその翌年に、世界各地の戦災で傷ついた子供のための医療施設「ドイツ国際平和村」支援チャリティーコンサートを開く時に、松浦司教様の大阪から応援していただきました。そして今年も引き続き、麹町イグナチオ教会で被爆ピアノを使った、平和と東日本復興「LOVE & PEACE チャリティーコンサート」を開催し、成功いたしました。

このコンサートの準備をしている時に、今後も機会があれば、音楽と芸術による平和祈念コンサートをまた開きたいとい思うようになりました。しかし、私たち女性だけでは心許ないですから、松浦司教様に指導者として、後ろ盾になっていただきたいという気持ちが強まったのです。そして、昨年と今年の出演者などに呼びかけましたら、2名の方々が参加登録に同意してくださいました。

偶然にも全員がマリアの霊名を戴いていますので、会の名前は、“Maria Arts & Music PEACE9”と決まりました。会の登録日はメンバーのTさんの提案で、2011年8月15日の終戦記念日、つまりマリア様の被昇天の祝日を予定しています。
この3人のマリア様が集まって、これからどんな活動ができるか、全く未知数ですが、一歩一歩、神様と対話しながら、柔和に謙遜に「平和のために働く人」になりたいと思います。

2011年9月26日月曜日

《第四章:憲法九条を世界遺産に》(続き)



◆ 日本国憲法は環太平洋的思想
《太田は語っています。天皇制も憲法も常に議論の対象になるのは、そういう本質が似ているからなのかもしれないと。そして憲法九条に関して言えば、もしかすると日本人はまた人を殺すかもしれないという、自分への疑いがそこにある、と》

 そういう意味では、日本国憲法は聖書と同じだと思います。クリスチャンは十字架を称賛しますが、それほど残酷な宗教はないでしょう。しかし、それを乗り越える愛が聖書にはあるのです。

◆ 右翼でも左翼でもない「中道」
《中沢が、太田さんが日本国憲法について最近、考えたり、書いたりしていることを見ると、これは右翼が怒るなと思うところがあるそうです。じゃあそれは左翼の論理かというと、それも違う。たぶんこれが中道なんだろう。中道だから、右にも左にもいいなと言われる。あるいは両方から文句言われる、と》

 
 
宗教が混在している日本に於いて、中道を示すものが無くなると困ります。世界中が認める、神の傑作はむやみに作り変えてはいけないですね。





◆ 僕が芸人でいる理由
《中沢はさらに次のように言っています。芸術と政治が合体したときに生まれた最大の失敗作は、ナチだと。ナチズムの思想は、人間が人間を超えていこうとした。非人間的なものも呑みこんで、人間を前進させるんだぞという考えが、現実の政治とつながっていったとき、とてつもない怪物が生まれた。それ以来、政治の中に芸術や芸術的な思想を結びつけるのは危険だということで、ヨーロッパでは政治と芸術を分離させた、と。
 ところが、日本国憲法は、ナチズムとは逆のことを実行してきたそうです。この憲法自体、現実には存在し得ないことを語ろうとしているわけですから、芸術に近いものだとも言えますが、それを日本は政治の原理にしようとしてきた、と






 ナチズムと日本国憲法が、左右対称というのは面白いと思います。脳の世界は右が天国、左が悪魔と行ったりするけれど、お国が違えばそれも変わるのですね。神は左右上下でなく、御言葉によるイメージの世界が作り上げるのです。

《中沢は、世界遺産という言い方がとても気に入っているそうです。政治と芸術的な思想の結合という、この奇蹟的なシステムを、リサイクルして再活用するために、そのスローガンはとてもすてきだ、と






 日本国憲法は神の理念と言葉が一つになった、美の遺産なのだと思います。
心を伝えるのは難しいです。言葉はいつも空まわりしてしまう。それができたのは、敗戦国という極限状態にあったからかもしれません。ハングリー精神から生まれる美は美しいですね。





◆ 日本に蔓延する感受性の欠如
《太田が、初めて画集で「アッツ島玉砕」を見たとき、衝撃的を受けたそうです。まさに地獄絵図と言っていいぐらい。 あの絵を戦意高揚の絵だとして、藤田を戦犯だと言った人たちの感受性とは、一体何なのだろうと太田は言っています。あの絵からは、戦争はもう嫌だということしか伝わってこない。なのに、いまだに日本の美術界がそれを封印しているのは、彼を戦犯だと言った人たちと同じ感性だということじゃないですか、と》

 キリスト教の歴史と同じ、日本の文部省と同じですね。日本文化「は隠す文化ではあるが、このように戦争の事実を隠すのが公然と行われてきたのです。このことが、日本の芸術や人間教育を閉塞させしまっていますね。

◆ 合作としての表現
《太田によれば、クンデラが(人間の)仕草について、「この世には、個人の数より仕草の数のほうが少ないことは明白である。そこでわれわれは不快な結論に導かれる。つまり、仕草のほうが個人そのものより個性的なのだ」、あるいは「仕草のほうこそ、われわれを利用しているのだ。われわれは仕草の道具であり、操り人形であり、化身である。」と表現していたそうです。(集英社文庫『不滅』菅野昭正訳 第一部「顔」より)。 太田らは、言葉を武器にして表うが強いんじゃないかと。では、どうすれば、仕草が言葉を乗り越えられるのか、と言っています》

 手話は仕草が個人を超えていると思います。言葉がなければ、人間としての感覚がなくなるが、言葉が個人を超えてしまうこともあるのです。仕草が言葉を引っ張るのか、だとしたら、手話は言葉と限りなく引き出していく。私は逆だと思っていました。





《第四章:憲法九条を世界遺産に》より



◆ 言葉の持つ力と危うさ
《中沢は言葉の持つ力を危うさについて、次のように述べています。上手な表現というのは、そういうパターンに揺さぶりをかける力を持っている、と。テロというのは最終的な、しかも極端な表現で、そこたどりつくまで、じつはもっと広くて大きないくつもの選択肢があった。人間はいつも最終的に出てくる表現に気持ちがとらわれてしまい、とくにテロだとか戦争だとかいうと、もうそこだけに関心が集中して、裾野の広さが見えなくなってしまう、と》


 さて、私たち人間は、言葉によって意識が変わり、それによって戦争が起きたりもします。聴こえなかった自分には考えられなかったことが、聴者の世界では起こりうるのだと、聴こえるようになって初めて、実感しています。聴覚や視覚などを通して、外の世界に繋がることで、マインド・コントロールが起こるわけです。 


 その点で聴覚障害者の音の世界は、静寂であり、平和そのものといっていいかもしれません。しかし私たちに、神様から与えられた五感が、争いや分裂を引き起こすために使われるのでしたら、それはかつて聴こえなかった自分にとっては何よりも悲しいことと思います。

 私たちが自由にものを見たり聞いたり、考えたりするためには、言論の自由だけでなく、感性の領域においても、つまりそれは個人の感覚の自由であるわけですが、守られなければいけないと思います。
《芸人の太田は、中沢の発言を受けて、たとえ矛盾があったり、失敗したりしても、たくさんの自分の言葉を使って話してほしいと言っています。その人間が見えなくなるキャッチフレーズより、誰がそれを言っているのかが大事なんだそうです。言葉にはすごく力があると同時に非常に危ういものだということを、よくわかっているから、と》

 私もそうだと思います。断片的な言葉の効果もあると思いますが、本当に必要なことは、身をつくし、魂をつくして伝えるべきです。同じ言葉を繰り返すだけでも効果はないでしょう。くどくなってしまいますし。

 それだけにどこから題材を持って来るか、視野を狭くしないように、要領を得た話ができるようにしないといけないと思います。

 それに、日本語は言いたい事を最後に持ってきますから、じりじりと結論を出そうとしません。それが日本人を忍耐強くしているかもしれませんけど、今の日本の政治のように、原発問題に関しても煮え切らないということが起こります。最初から結論として、「原発を無くす」というただ一つの目標を掲げて付き進めばいいのに、と思います。

◆ 「不戦」と「非戦」の違い
《中沢曰く、日本国憲法は、普通の国の憲法とは違う。とくに九条があることによって、普通になれないそうです。それは国家が自分の中に矛盾した原理を据えているからです。だからそれはある意味で、修道院に似ています。修道院のようなものがあると、人間は、普通ではできないけれど、人間には崇高なことに取り組む可能性もまだあるんだと感じることができる。そういう場所があることは、すごく大事なことです、と


  私たち日本人は日本国憲法のお陰で、他の国に比べれば、皆、修道士、修道女のように神の恩恵を受けながら、聖域に籠らずにも平和な時間を有り余るほど享受しているのかもしれません。 ありがたいことだと思います。

 
◆ 人間の愚かさを知るための世界遺産
《中沢が、なぜ人は、神社に落書きしたくなるのかというと、もともと神社という建物が日本にはなかったからじゃないでしょうかと言っています。日本人は、神様をまつるのに建物を必要としなかった。山とか木とか、その向こうにあって見えないもの、それを神様として考えていて、そこには手をつけなかった。ところが、神社というものがつくられると、神とイエスのような関係になって、ここには何か悪戯をしたくなるわけだ、と》

 もし今の日本政府が憲法九条に手を付けたら、「ソドムゴムラよりももっと重い罪」(聖書より)が日本中を襲うような気がします。
 十戒という厳しい掟を命がけで守り通した四千年の歴史の神様がどんなにお怒りになることかと思います。日本には日本の神様がいると嘯くけれど、今はもう鎖国の時代じゃないのです。洋館に住み、洋服を着て、洋食を食べている日本人がキリスト教を切り離しては生活できない時代なのです。日本のよさを認めながら、西洋の文化とうまく融解させることは、神概念にも同じことがいえると思います。
 汚れを清めるために宗教があるわけですから、汚れ過ぎないように神社やお寺があるのは大切なことです。悪戯したくなるのは、日本の神社や仏閣の神は沈黙しているだけで、厳格だが、憐れみ深い人格を持った神がいないからでしょうか。キリスト教には司祭という形を借りて、それが残っていると思います。

《イスラム教のタリバーンがバーミャン(アフガニスタン、バーミャン渓谷の古代の石窟仏教寺院。世界遺産に指定。2001年3月、偶像崇拝を否定するイスラム教・タリバーンによって、渓谷の二体の大仏が破壊された)の仏像を爆破して、困ったことをしたものだなと思う反面、イスラム教の考え方からすると、仏像というのは、落書きみたいなものですから、ただ落書きを消しただけという見方もできる、と中沢は言っている》
 
 仏像を壊してしまう人は、脳の使い方が左右対称に違うのかもしれないですね。木を見る西洋人とと森を見る日本人の論理が、タリバーンも同様に、仏像を壊したくてたまらなくなるということが起きるのでしょう。人間に眼が二つある限り、目に見えるものは二元論に至り、対立の対象になるのでしょうか。インドヨーガの第三のチャクラの目で世界を見なければならないと思います。

(続く)











《第三章:戦争を発動させないための文化》より



◆  思想表現としての芸
《中沢曰く、たとえば、ピカソのゲルニカは、スペインの内戦を写実的に描くのではなく、ピカソが頭の中で見たものに置き換えたほうが、むしろストレートに訴えかけてくるということがあると。それがピカソの芸だとすると、原稿でもテレビでも、中沢はそのへんを省いてストレートな発言ばかりしているそうです》

 私も、喋る方がずっと楽だということはあるかもしれません。でも、それではいつの間にか立ち消えになってしまいます。ただ、喋り続けて同じ事を喋っている自分に気付いたら、それが自分のことば(アート)になると思うので、文章にしています。
 逆に、ノーベル化学賞を受賞した小柴昌俊さんのように、インスピレーションが頭に浮かんだら、端的にでもメモることも大切ですね。

◆  落語の表現から学ぶもの
《中沢は、『国家の品格』(藤原正彦・新潮新書)を読むと、今の日本人は昔の日本人が持っていた美しい武士道精神を見失いつつあるそうです。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は、江戸末期のころの幕府の侍たちは、長い鎖国の中でみんな平和ボケしていて、その武士道精神を失ってしまっていたというニュアンスで書かれています。そこから、坂本竜馬や高杉晋作のような、骨のある武士道を持った日本人が下から出てきて明治維新を起こしたそうです》

 私の遠縁に当たる、後藤新平も同じだったのだろうか。氏もやはり明治維新で功労を果たし、華族の称号を得ました。
 江戸時代には安場一平さん、これも何世代か前のグランドファザーですが、剣の名手であの有名な「赤穂浪士」で大石内蔵助の切腹の時に介錯をしたほどであるから、かなりの武士道の達人だったのでしょう。
 私も茶道でお茶を点てる時、一期一会の精神を意識していますが、あまりにも簡素で完璧なものを追求し過ぎると、「切り捨てごめん」に近い境地になるときさえありますし、我ながら恐ろしいと思いますが、イエス様の十字架を信じていますから、殺意(?!)ではなく、「浄化」(purify)になるわけです。

◆ 武士道とお笑いの土壌は同じ
《武士道の話をもう一歩突き詰めると、お笑いと武士道の精神は同じところにあるということにたどり着く、と中沢は言っています。
 武士道では、自分の命に執着しないことが基本条件になっているそうです。戦国時代の武士は、いつも死と隣合わせに生きていた。これは芸術家に近い生き方だ。死と隣合わせにいると、自分の生きている世界を、いつも外から醒めた目で見ているということになる》

 死という問題は、一般的に日本人は避けて通っていきますが、私たちキリスト教徒はミサの中で、イエスキリストの死と復活を繰り返していることから、同じような心情に至ることはあると思います。

《太田が、人間生きてると、あいつ許せないと思うことがいっぱいあるが、そんなことも含めて古典落語は笑っちゃうと言っていました。
中沢がそれを受けて、低いところから人間を見ているから、世の中でぐんと上昇した人が落下していくのを見ても、何か優しいんだと。この人たちをそんなにいじめちゃいけないよねっていう視線がある、と

 許せないと思うことを赦し続けていくキリスト教とよく似ているかもしれません。 高みから私たちの行いを見ている神のような存在が、落語にはあったわけですね。
 可笑しさを意味することもある「もののあはれ」は憐れみ、楽しみ、喜びは栄光(グロリア)、賛美(ホザンナ)と通じるからでしょうか。
 危うさに行かないというのも「誘惑に陥らせず、悪からお救いください」という主の祈りとも通じます。
ならば、主の祈りは落語だったのか?!と思ってしまいました(笑)。

(続く)

2011年9月24日土曜日

《第二章:奇跡の日本国憲法》より



 ◆ 憲法九条は掛け値なく面白い
《中沢新一の話によると、憲法九条は修道院みたいなんだそうです。村はずれの丘の上に建っているというだけで、人の心は堕落しないでいられる。そういうものがあったほうが、人間の世界は間違いに陥らないでいられるんでしょう、というわけです》

 たしかに、教会や乃木坂の女子パウロ修道院の周りには、聖域から漂ってくる清浄感というものはあるけれど、麹町教会のある四ツ谷駅周辺のように、教会を横目に眺めつつ、決して与(くみ)しないところもあるかもしれません。教会でお祈りしないで、買い物をするとたまに何か、とばっちりに出会ったような気がするのです。イエス様のそばにいながら、決してその輪の中に入らないから、却ってつまずいてしまうのかな、と思います。それもその地域の特性かもしれないけれど。

《中沢はさらに修道院では、普通の人たちにはできない、血の滲むような努力をしている人たちがいる。断食をしたり、エゴを乗り越えて、利他心に生きようとしてがんばっている人たちがいる。現実はともあれ、とにかく立派な生き方をしようとしている人たちがいて、理想や夢が地上に自分の居場所を見いだしている場所がある、と言っている。 ふと見上げた丘に、そういうことをしている人たちがいるというだけで、世界の姿は変わるんですよ、と》

 日本の修道院は、まだヨーロッパの修道院のように歴史が長くないから周囲の土地に影響を与えるだけの力はないでしょう。しかし、私たち一般のカトリック信徒には、街の人のように見上げるのは、建物だけではなく、たくさんのシンボルがあります。聖書だけでなく、教会建築や修道院、司祭や修道士などの聖職者、聖人像、教会の奉仕活動、そして特にミサの中に見られる様々な聖変化にその都度、刺激を受け、信仰が育つのだと思います。

◆ 日本にたった一つ遺された拠り所
《中沢によると、日本国憲法というのは、日本人のドリームタイムなんだそうです。ドリームタイムというのは、オーストラリアのアボリジニが、自分たちの根源の場所として確保している場所のこと。そういう場所があることを知って、そこに心を向けることで、世界は正しい方向に向かっていける、というわけです》

 ところで、私はオーストラリアン・ワイルドフラワーもやっていますので、そのドリームタイムという感覚は、自然に還るというか、何となくわかります。でも、カトリックの信仰は、それとは違うと思うのです。もっと自分が天上と繋がり、自分の前途に道が開かれるというイメージがあり、そこに踏み出せるものだという感じがします。

《さらに中沢は述べている。日本国憲法は、ことばでできた日本人のドリームタイムだと。このことばでできたドリームタイムによって、日本人は今まで精神の方向づけを行ってこられたのだそうです》


つまり、基本的にドリームタイムは、全ての人が神に立ち返っていくところなんですね。


《今の日本の非常時に憲法は沈黙するばかりだそうです。いつだって神々は沈黙する。イエス・キリストだって十字架の上で、このまま私を見殺しにするんですか<と神に向かって訴えたけれど、神は沈黙したままでした、と非クリスチャンの中沢は言っています》

 しかし、キリスト教には、この沈黙の後に復活があるのではないですか。大震災後に東北の人が持っている底力とはまた違う、立ち上がろうとする力が、私たちには自らあるのでなく、与えられて生かされるのだ、と思います。

 太田さんが言った、世界遺産という言葉は当たっていると思います。一度、破壊されたら再構築は不可能ですし。大切なものを"守る“力は母性を持つ女性の領域ですから、女性たちがもっと立ち上がらないといけないと思います。

(続く)

2011年9月20日火曜日

「憲法九条を世界遺産に」を読んで―《第一章:宮沢賢治と日本国憲法》より





 最近、「憲法九条を世界遺産に」集英社新書(中沢新一・太田光)を読みました。
日本国憲法が世界中でも最も普遍的な要素を含んでいる平和憲法であり、世界中の憧れの的だということがわかりました。敗戦国日本が、もうこれ以上、戦争は嫌だという状況の中にあった時に作られたものです。本当に有り難いことですし、決して改正してはならないと思います。

 ところで、この本は宗教学者とお笑い芸人の対談ですが、人間の左右脳領域の対談のようで面白かったです。
この本を通して私は、ことばを鵜呑みにしないで、自分の中に駆け巡らせて、熟成したりして、表現していかなければならないということに気付きました。そのため、私たちは出会う人や書物を選ばなければなりません。

 私はキリスト教徒ですが、私たちの神が天皇でなく、天地創造の神であること、また誤魔化すことの多いごった煮のカレーのような仏教の神ではなく、津波の後の泥の中から希望を見出そうとするキリスト教は、今や脳化して系統だった言語を持つようになった私たちにとって救いの光となるはずです。

 私は東日本が大震撼した直後、他の大勢の人達と同じように、途方に暮れましたが、地震の後ほぼ毎日、教会のミサに与かり、気持ちを落ち着かせてきました。ミサの中で度々
私達は、ローマ法王からのメッセージを聴きました。このように日本全体が危機に陥っても、世界中のカトリックと繋がっている、その事を知って安心いたしました。

カトリックはさらに、毎週、主の晩餐という荘厳な儀式(ミサ)を執り行い、一つのパンを分かち合うことで強い絆を感じますから、ちょっと繋がっているという意識ではないのです。ミサに与ると自分の意識が崇高なものにまで高められ、天上にあるはずの神が、ご聖体(ホスチア)を通して自分の中に入り、聖霊となって生きていることを信じると、それがわかります。
(次号に続く)



2011年9月11日日曜日

芸術の秋と憲法九条を守る会



9月に入り、早くも秋の気配が漂ってきました。
「9」という数字は、「アート」という意味だと聞いたことがあります。

「環境保護問題」とか「ボランティア」という意味もあり、まさに今年のキーワードですね。

皆様、芸術の秋を堪能するだけでなく、アートでチャリティ活動をしましょう。


私も以前から、自宅に祖父母の絵と、母の絵が飾っていましたが先週、高校時代に描いた油絵を額に入れ、飾りました。

10年以上前に、母と一緒に描いた水彩色鉛筆画も棚の上に並べました。 同じモチーフで一緒に描いたもので、似ているようでも少し観点が違うので、興味深いです。


そして音楽の方は、先月の終戦記念日(8/15、聖母マリアの被昇天の祝日)に、プロのヴァイオリニストや声楽家、そして手話通訳の友人たちと、憲法九条を守る会、”Maria Arts & Music PEACE9”を結成いたしました。

来年以降の平和祈念コンサート実施に向けて、新たに活動をしていきますので、どうぞよろしくお願いします。


(イラストは水彩色鉛筆画「洋梨・柿・アケビ」森 峰子作)