2015年5月18日月曜日

雨宮慧神父様の黙想会講話「罪と悔い改め」 まとめ

  雨宮慧神父様のお話は、四旬節の罪の赦しの秘跡を受けるに当たっての心がけとして、聴かせていただきました。「罪」と「悔い改め」についてですが、ヘブライ語の講義のような内容でした。御ミサのときの穏やかさとは打って変わって、厳格な聖書学者のようではありましたが、できるだけ私たちにわかりやすく話そうとされている御様子でした。

まずお説教ですが、歴代誌(下36-1423)と詩篇137-16と合わせて読むと、時代背景がわかるということ、パウロのエフェソの手紙(2-410)では善行ではなく、神への信仰によって救われたという賜物について、そしてヨハネ福音書で、神が私たちのために何を行って限界(思い込みや常識など)があるから、神の声、人知を超えたものに耳を傾けるための宗教が必要だということでした。

続いての黙想会では、聖書が述べる罪と悔い改めについて講釈されました。神父様によれば、誰の目にもわかる外に現われた罪は氷山の一角で、それらはすべて深い根っこがあるということです。「兄弟に「ばか」と言う者は、最高法院に引き渡され、「愚か者」という者は、火の地獄に投げ込まれる」(マタイ5-22)。私たちは毎日何度、口の中で殺人を犯しているか、それは口もまた人を殺す凶器となり、相手の心に傷を負わせているという厳しいものでした。聖書は、日本人の普通の発想とは違うということなのです。

続いて、「義とされなかったファリサ派の人」(ルカ18-9~)。この箇所のキーワードは「うぬぼれ」です。罪人ということをイエス様の教えで捉えています。辞書に記されている本来の意味ではなく、「自分に頼ってしまう」ことつまり、神様ではなく自分に頼ってはいけないということでした。難しいですが「うぬぼれ」の根拠には他人との比較があり、このような姿勢は神との関わりを妨げてしまって、人との関係も絶たれてしまうのです(HP「福音のヒント」より)。神に頼るというのは、自分の無力さを知ること、弱さは欠点ではなく、神に出会う好機です(「小石のひびき」(女子パウロ会)より)。罪の問題は面倒な問題で、人間が罪を処理することはできないと聖書では考えており、神だけが罪を赦すことができるという発想なのです。

3番目は、旧約と新約とでは信仰の方向性が違うということ、私たちはすでにイエス様に出会っているので、「尋ね求め」たり「呼び求め」たりする必要はない、私たちはただイエス様に聞き従えばいいのだということでした。イザヤ55章を引き合いに出して、神から見れば人間の思いはしょせん、くだらない「たくらみ」に過ぎない。なぜなら神様の思いは、私たちのとは異なり、高く超えているからです。神の道と人間の道、それは天と地ほどの差があります。それを、コンチェトリック(構成法)を使って解き明かしてくださいました。「雨も雲もひとたび天から降れば、虚しく天に戻ることのない」ように、神の言葉も必ず出来事になり、「わたし(神)が与えた使命を必ず果たす」ことになるのです。

詩篇32章‐15節では、「いかに幸いなことでしょう」と2回、同じ言葉が繰り返されます。これを「アシュレイ」と云いますが、罪を赦された者の喜びが伝わってきます。罪を黙し続け、絶え間ない呻きと重くのしかかる御手にたまらなくなって罪を神に示した。罪の告白とは誰もが嫌なものという先入観がありますが、それがヘブライ語では「感謝」と同じ動詞を使っているのだそうです。

それはどういうことなのか、最後にイザヤの44章が読まれました。日本語辞書と聖書では、「悔い改め」は意味がまったく分けられており、「立ち帰る」と訳されています。神の国では、「立ち帰る場所のある悔い改め」が用意されているということでした。私は幼児洗礼でしたので、小学校低学年の頃から告解をしなさいと言われ、何を言っていいかわからないまま「お兄ちゃんと喧嘩しました」と言いました。それだけでも神父様から赦しますと言われると心が弾んだことを覚えています。つまり、赦しの秘跡とは自分で自分を誤魔化すのではなく、神との対話の第一歩ですから、「喜んで打ち明けましょう」ということなのだと思いました。

最後にこの場を借りて、横浜教区要約筆記サークル「イサクの会」の田中さん、新田さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

2015年5月15日金曜日

Bump into


数年前の話になりますが、ある日のお昼近く、階上のリビングルームで掃除機をかけていたときのことです。ふとテレビを見ましたら、俳優の阿部寛がルーブル美術館展の番宣をやっていました。そのとき私の内心から、
「阿部寛って、勉強したんだなぁ、元々雑誌のモデルさんだし、頭よくないと思ってたんだけど、すごいなあ…」と絶賛する声がしたのです(阿部さん、ごめんなさい)。
私は普段はあまりテレビを見ませんし、近所に芸能関係者がごまんといる街に住んでいますし自分は元々、教科書の音楽かクラシック派で、若い頃のようにポップスに興味がわきませんし、周囲に迎合しないためにも、マスコミにはほとんど関心を持たないようにしています。それに、カトリック教会にはカッコいい神父様や味わいのある神父様が沢山いるし、話は面白くて、厳しいけど優しいし。なにより無償の愛を下さるから…。その声は、亡くなった母が私の内面で生き続けており、母がいつも私の心の耳に囁きかけているからかもしれません。
さて、私が褒めたのか誰かわからないまま私は、いつものように掃除を終えると、前から買おうと思っていたアクリル絵の具を買いに出かけました。古くなって色が褪せてしまった麻のショールを試しに、黄色に染めてみようと思ったのです。お天気が良かったので散歩がてら、渋谷駅前のウエマツ画材店まで歩いていきました。
3階か4階に上がって、絵具売り場の前に立っていた時のことです。ふと振り向いてみるとなんと!今さっきテレビで見たご本人がレジで店員さんと、ご自分の描いたらしい抽象画を前に画材の相談をしているではないですか!私は我が目を疑いました。七頭身半以上はあるでしょうか、頭部が私の頭の上にあるかと思われるその姿は、まぎれもなく阿部本人でした。陳列棚の陰から何度も、イリュージョンのように現れた本物を確かめながら、テレビの画面と現実の違いまで認識しました。
さて私は、阿部寛に会ったことに驚いたのではなく、神の声が私自身で響いたのに感激したのです。私は神に出会った喜びに満たされました。相手は芸能人ですから、神の存在を否定することもできます。テレビを見た四〇分ぐらい後の出来事ですし、芸能人も人の子、阿部寛の中にもあの番宣を、本当に理解してくれる誰かに観てほしいという想いがあったのでしょう。
それからほどなくして私は、臨床美術士の資格を取得し、その間に京都造形芸術大学で学芸員資格も取りました。阿部寛だけがきっかけでなはありませんが、インターネットとスクーリングによる学習が主で、文書だけで記載された漢字の多い(京都だからか)の課題にそれることなくレポートを書かねばならず、対面式でない難しさもあってかなり厳しい1年間でした。その間ふと、あの阿部自身もこういった勉強をしたのではないか、学芸員資格も取ったのではないか、そうでなくてもチャラチャラしていると思っていたのが、NHKの美術番組のキュレーターを務めたのは、よほど努力したのではないか、と思うと頭が下がる思いがしました。
実は私は、有名人だけでなく偶然、人に会う確率が高い方だと思います。五年ほど前に習った英会話のイギリス人のメアリー先生が、こういうのを、“Bump into”というのだと教えてくれました。
でもそれらのすべては「誰彼に会いたいな」と具体的に願ったところで叶ったことはありません。そう思ったところで会う場合に大抵は、自分の家族です。私ではない、しかし私の中にある神様が私自身の想いを超えて、新たな出会いをくださるのです。そして、それらはネットでも何か事務的な手続きを経ることはありません。
あるのは、エッサイの芽も出ていないところの何かだけ。本能でも理性でもなく、道理もましてや言葉もない、しかし虚無でもないところ。それは重心と引力の引っ張りあうところなのか…。日々の祈りの賜物だとしたら、それはあったり、なかったりと気まぐれと思うならそれは神さまではなくて…。稲川圭三神父様は詩人のように、「初めも終わりもない永遠の始まりであるところの真実」と云い現わされています。私がどういった状況でもその声に耳を澄ませるのなら、その道のりがたとえ遠くてゴールが見えなくても、道に迷うことはないでしょう。
中学高校の校長であったアトンメントのフランシスコ会の勝野巌神父様の「みおしえの道」には、稲川神父様のお話よりも具体的過ぎるぐらいに書かれているようです。当時は耳が聴こえないために勝野神父様のお話は本当に馬の耳に念仏でしたが、ネコでも峰子には小判は見えるのです。今更ながらもう一度、読んで勝野神父様のお教えの素晴らしさを噛みしめています。
そして最近になって気づいたことですが、ペトロ勝野神父様の霊名は正式には、ペトロ・バプチスタ神父だそうです。あの江戸の二十六使徒殉教者の中の一人で、稲川圭三神父様もパウロ三木でした。この二人の聖人が伝えるメッセージには共通の真理が宿っているのかもしれません。