2010年2月26日金曜日

ティータイム(Teatime)


この間はこのブログの、マリア・エリザベート(Maria Elizabeth)の名前の由来を書きました。
今回はなぜティータイム(Teatime)なのか、説明したいと思います。

私の亡き祖母が表千家の名師匠で、私は子どもの頃から時々、茶席に同席していました。
成人してから、月に一回の土曜日に開かれる茶会で、祖母のお弟子さん達と一緒に手ほどきをしていただきました。
お稽古代は孫の名目でタダでしたが、せっかく習っているのだからと、最低の手習いの免状だけは取得しました。
若い時は、茶道は無駄のない簡素な伝統儀式として、きちんと居住まい正しく祖母とお相手していたのです。
当時はまだ遊びたい盛りでしたし、カトリックだった私にとって教会のミサは、似たような宗教的儀式ではあっても、教会の存在は自由な心を取り戻してくれる場でもあったのです。
しかし、成人してから、プライドの高さと放縦な遊び心との、アンバランスな自分の心をもてあますようになってしまいました。
そこで出会ったのが、イギリス人のピーター・ミルワード神父様の「お茶の巡礼」(河出書房新社)という本でした。
その本のお陰で、すべてのジレンマが解消したのです。

この本は、キリスト教のミサと茶道との間には深い因縁があるとの見方が述べられています。
安土桃山時代に、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが宣教師として日本に来た折に、千利休が、高山右近と同席したキリスト教のミサにヒントを得たものだという説です。

祖母が亡くなった後は、茶席に赴くこともなくなりましたが、せっかく身に付いた技術ですので時々、立礼で点てています。
でももう、ミサはミサで別々、茶道は茶道で別々、と分裂することはなくなりました。

ティータイムと言っても何もイギリスのお茶とは限りませんもの。
日本人であるからには、日本茶は当たり前ですが、お洒落なイギリスのお茶にも憧れます。
人と人を繋ぐ憩いのお茶の話も時々、載せたいと思います。

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