2011年10月8日土曜日

国民投票とマインド・コントロール


 少し昔の話ですが、首都圏の某ホールで開かれた、アマチュアのオーケストラと合唱団が主催するコンサートに行ったことがあります。そのコンサートはそれなりに楽しかったのですが、コンサートが終わった後、私はその夜に嫌な夢を見ました。
 その地域が支持しているある政治家の顔が浮かんできたのです。その政治家は私が一番、嫌いな人で、その人の顔が出るため、私は数年前から新聞を読むことを止めてしまい、そのため世間の問題に疎くなってしまいました。さらにその人が毎日、新聞にでかでかと載ったある年の夏は恐怖のあまり、アメリカのニューヨークに逃げ出したほどです。


 恐らく、その合唱団のメンバーの中にそういう神のイメージがあって、それが歌の力を借りて、マインド・コントロールが行われたのだと推測しています。宗教としての神イメージがない日本人にとって、政治家が救い主だと思っている人も多いのではないかと思います。
 目が痛くなるぐらい、新聞やテレビなどで、その政治家のイメージを無意識に瞼の裏に焼きつけ、良かれ悪しかれその政治家の言動に従うように盲従させるのは、本当の施政とは思えません。


 私が勉強してきた大脳生理学論では、日本人は文化というものを、視覚的イメージとして記憶しやすい国民だという結論が出ています。海外のものを何でも取り入れ、物真似の上手な日本人は融通性が利くようなところがあります。しかし、日本人のそういった性質を利用する偽善者がいます。おとなしいかわいい女の子をマインド・コントロールして、自分の思うままに操るのは真の自由とは言えません。

 私は今夏から、憲法を守るためのピース9の会に友人たちと登録しましたが、それは私を取り巻く男性的な人間社会のしがらみに対抗する(と云っては変ですが)ためにカトリック平和と正義協議会という強い後ろ盾が欲しかったからです。それだけ有形無形の様々なマインド・コントロールがあり、その呪縛から逃れられると信じたからです。

 日本人には生まれ年の干支があり、それで性格判断までできるそうです。それは当たっていると思うこともありますが、私たちは猿が進化したものであっても、精神性のある人間であって、動物とは一線を画するものです。男性が自分の飼い主であるかのように、日本女性は従順に従っていきます。しかし女性のたおやかさは、脆さと両刃の剣であり、優しそうに見える狡猾な男性からのマインド・コントロールに引っかかってきたかわいそうな女性をいくつもみてきました。ある六十歳代の女性は夫婦愛もマインド・コントロールなのよ、と嘯いていますが、打算的な愛もあるかもしれないし、無償の愛である証を確信することはできないのです。

 いつか、日本政府が憲法九条を破棄するように国民に呼びかける国民投票のXデーが来たら、瞼の裏に焼きつけた偶像が、優しい(狡猾な)旦那様のように、自分を救ってくれると、いとも簡単に引っかかる日本人が幾人も出てきそうで末恐ろしい気さえするのです。

(27/Aug/2011 聖アウグスチヌスの祝日に記す)

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