2015年5月18日月曜日

雨宮慧神父様の黙想会講話「罪と悔い改め」 まとめ

  雨宮慧神父様のお話は、四旬節の罪の赦しの秘跡を受けるに当たっての心がけとして、聴かせていただきました。「罪」と「悔い改め」についてですが、ヘブライ語の講義のような内容でした。御ミサのときの穏やかさとは打って変わって、厳格な聖書学者のようではありましたが、できるだけ私たちにわかりやすく話そうとされている御様子でした。

まずお説教ですが、歴代誌(下36-1423)と詩篇137-16と合わせて読むと、時代背景がわかるということ、パウロのエフェソの手紙(2-410)では善行ではなく、神への信仰によって救われたという賜物について、そしてヨハネ福音書で、神が私たちのために何を行って限界(思い込みや常識など)があるから、神の声、人知を超えたものに耳を傾けるための宗教が必要だということでした。

続いての黙想会では、聖書が述べる罪と悔い改めについて講釈されました。神父様によれば、誰の目にもわかる外に現われた罪は氷山の一角で、それらはすべて深い根っこがあるということです。「兄弟に「ばか」と言う者は、最高法院に引き渡され、「愚か者」という者は、火の地獄に投げ込まれる」(マタイ5-22)。私たちは毎日何度、口の中で殺人を犯しているか、それは口もまた人を殺す凶器となり、相手の心に傷を負わせているという厳しいものでした。聖書は、日本人の普通の発想とは違うということなのです。

続いて、「義とされなかったファリサ派の人」(ルカ18-9~)。この箇所のキーワードは「うぬぼれ」です。罪人ということをイエス様の教えで捉えています。辞書に記されている本来の意味ではなく、「自分に頼ってしまう」ことつまり、神様ではなく自分に頼ってはいけないということでした。難しいですが「うぬぼれ」の根拠には他人との比較があり、このような姿勢は神との関わりを妨げてしまって、人との関係も絶たれてしまうのです(HP「福音のヒント」より)。神に頼るというのは、自分の無力さを知ること、弱さは欠点ではなく、神に出会う好機です(「小石のひびき」(女子パウロ会)より)。罪の問題は面倒な問題で、人間が罪を処理することはできないと聖書では考えており、神だけが罪を赦すことができるという発想なのです。

3番目は、旧約と新約とでは信仰の方向性が違うということ、私たちはすでにイエス様に出会っているので、「尋ね求め」たり「呼び求め」たりする必要はない、私たちはただイエス様に聞き従えばいいのだということでした。イザヤ55章を引き合いに出して、神から見れば人間の思いはしょせん、くだらない「たくらみ」に過ぎない。なぜなら神様の思いは、私たちのとは異なり、高く超えているからです。神の道と人間の道、それは天と地ほどの差があります。それを、コンチェトリック(構成法)を使って解き明かしてくださいました。「雨も雲もひとたび天から降れば、虚しく天に戻ることのない」ように、神の言葉も必ず出来事になり、「わたし(神)が与えた使命を必ず果たす」ことになるのです。

詩篇32章‐15節では、「いかに幸いなことでしょう」と2回、同じ言葉が繰り返されます。これを「アシュレイ」と云いますが、罪を赦された者の喜びが伝わってきます。罪を黙し続け、絶え間ない呻きと重くのしかかる御手にたまらなくなって罪を神に示した。罪の告白とは誰もが嫌なものという先入観がありますが、それがヘブライ語では「感謝」と同じ動詞を使っているのだそうです。

それはどういうことなのか、最後にイザヤの44章が読まれました。日本語辞書と聖書では、「悔い改め」は意味がまったく分けられており、「立ち帰る」と訳されています。神の国では、「立ち帰る場所のある悔い改め」が用意されているということでした。私は幼児洗礼でしたので、小学校低学年の頃から告解をしなさいと言われ、何を言っていいかわからないまま「お兄ちゃんと喧嘩しました」と言いました。それだけでも神父様から赦しますと言われると心が弾んだことを覚えています。つまり、赦しの秘跡とは自分で自分を誤魔化すのではなく、神との対話の第一歩ですから、「喜んで打ち明けましょう」ということなのだと思いました。

最後にこの場を借りて、横浜教区要約筆記サークル「イサクの会」の田中さん、新田さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

2015年5月15日金曜日

Bump into


数年前の話になりますが、ある日のお昼近く、階上のリビングルームで掃除機をかけていたときのことです。ふとテレビを見ましたら、俳優の阿部寛がルーブル美術館展の番宣をやっていました。そのとき私の内心から、
「阿部寛って、勉強したんだなぁ、元々雑誌のモデルさんだし、頭よくないと思ってたんだけど、すごいなあ…」と絶賛する声がしたのです(阿部さん、ごめんなさい)。
私は普段はあまりテレビを見ませんし、近所に芸能関係者がごまんといる街に住んでいますし自分は元々、教科書の音楽かクラシック派で、若い頃のようにポップスに興味がわきませんし、周囲に迎合しないためにも、マスコミにはほとんど関心を持たないようにしています。それに、カトリック教会にはカッコいい神父様や味わいのある神父様が沢山いるし、話は面白くて、厳しいけど優しいし。なにより無償の愛を下さるから…。その声は、亡くなった母が私の内面で生き続けており、母がいつも私の心の耳に囁きかけているからかもしれません。
さて、私が褒めたのか誰かわからないまま私は、いつものように掃除を終えると、前から買おうと思っていたアクリル絵の具を買いに出かけました。古くなって色が褪せてしまった麻のショールを試しに、黄色に染めてみようと思ったのです。お天気が良かったので散歩がてら、渋谷駅前のウエマツ画材店まで歩いていきました。
3階か4階に上がって、絵具売り場の前に立っていた時のことです。ふと振り向いてみるとなんと!今さっきテレビで見たご本人がレジで店員さんと、ご自分の描いたらしい抽象画を前に画材の相談をしているではないですか!私は我が目を疑いました。七頭身半以上はあるでしょうか、頭部が私の頭の上にあるかと思われるその姿は、まぎれもなく阿部本人でした。陳列棚の陰から何度も、イリュージョンのように現れた本物を確かめながら、テレビの画面と現実の違いまで認識しました。
さて私は、阿部寛に会ったことに驚いたのではなく、神の声が私自身で響いたのに感激したのです。私は神に出会った喜びに満たされました。相手は芸能人ですから、神の存在を否定することもできます。テレビを見た四〇分ぐらい後の出来事ですし、芸能人も人の子、阿部寛の中にもあの番宣を、本当に理解してくれる誰かに観てほしいという想いがあったのでしょう。
それからほどなくして私は、臨床美術士の資格を取得し、その間に京都造形芸術大学で学芸員資格も取りました。阿部寛だけがきっかけでなはありませんが、インターネットとスクーリングによる学習が主で、文書だけで記載された漢字の多い(京都だからか)の課題にそれることなくレポートを書かねばならず、対面式でない難しさもあってかなり厳しい1年間でした。その間ふと、あの阿部自身もこういった勉強をしたのではないか、学芸員資格も取ったのではないか、そうでなくてもチャラチャラしていると思っていたのが、NHKの美術番組のキュレーターを務めたのは、よほど努力したのではないか、と思うと頭が下がる思いがしました。
実は私は、有名人だけでなく偶然、人に会う確率が高い方だと思います。五年ほど前に習った英会話のイギリス人のメアリー先生が、こういうのを、“Bump into”というのだと教えてくれました。
でもそれらのすべては「誰彼に会いたいな」と具体的に願ったところで叶ったことはありません。そう思ったところで会う場合に大抵は、自分の家族です。私ではない、しかし私の中にある神様が私自身の想いを超えて、新たな出会いをくださるのです。そして、それらはネットでも何か事務的な手続きを経ることはありません。
あるのは、エッサイの芽も出ていないところの何かだけ。本能でも理性でもなく、道理もましてや言葉もない、しかし虚無でもないところ。それは重心と引力の引っ張りあうところなのか…。日々の祈りの賜物だとしたら、それはあったり、なかったりと気まぐれと思うならそれは神さまではなくて…。稲川圭三神父様は詩人のように、「初めも終わりもない永遠の始まりであるところの真実」と云い現わされています。私がどういった状況でもその声に耳を澄ませるのなら、その道のりがたとえ遠くてゴールが見えなくても、道に迷うことはないでしょう。
中学高校の校長であったアトンメントのフランシスコ会の勝野巌神父様の「みおしえの道」には、稲川神父様のお話よりも具体的過ぎるぐらいに書かれているようです。当時は耳が聴こえないために勝野神父様のお話は本当に馬の耳に念仏でしたが、ネコでも峰子には小判は見えるのです。今更ながらもう一度、読んで勝野神父様のお教えの素晴らしさを噛みしめています。
そして最近になって気づいたことですが、ペトロ勝野神父様の霊名は正式には、ペトロ・バプチスタ神父だそうです。あの江戸の二十六使徒殉教者の中の一人で、稲川圭三神父様もパウロ三木でした。この二人の聖人が伝えるメッセージには共通の真理が宿っているのかもしれません。

2015年2月10日火曜日

Sさんへの手紙:人口内耳について

(前略)私は、手話は高校二年の時に上智大学の文化祭で手話ソングを見たのが初めてでした。その後三十代に入ってから聴覚障害児のための音楽ワークショップという、ボランティア活動で、早稲田大学の手話サークルのメンバーの手話をみよう見まねでやっていましたので、学生手話(というものは本当はないですが)レベルです。
しかし今春、麻布教会にカトリック聴覚障害者の会の稲川圭三様が着任なさったこともあり、やっと典礼手話も覚えることができました。
 ただ私は、もともと手話のネイティブスピーカーではないし難聴でしたので、失聴した時から聴能訓練ばかりしていました。我が家は今でも、聴能訓練のための教材や音響機器がたくさん残っています。当時はテレビも字幕放送はありませんでしたから、どうしても見たい番組は特別編に限って、予めテレビ局にお願いして前もって台本をもらって放映中は画面と首っぴきで読んだり、話のわかりやすいアナウンサーの出演するNHKニュースは毎回見ていました。歌謡番組は楽譜の付録が付いている雑誌を買って、歌手の歌うのに合わせて覚えたりしました。そのうちNHKの朝ドラで字幕が付くようになると、当時はそれしかないですから毎朝、
「峰ちゃん、『風見鶏』(当時の番組名)が始まるわよ!」とたたき起こされました。そのお蔭で、もともと低血圧で朝は弱いのですが、やっと起きられるようになりました。聴能力を上げるためには聴いたりするだけでなく話さなければならないので、我が家は兄妹三人共、大変なお喋りでした。
 ですから今では生活の中で手話を使うのは、一日単位ではなくて、一週間に一日それも、数時間あるかないかです。それに三歳の時から約二十年余り、補聴器を片耳だけに装用していましたのでその後、後遺症のために額関節症にかかってしまいました。さらに今年の三月の終わりにガレージの掃除でホコリアレルギーになってしまったのです。そのため、左右どちらかの腕が動けなくなることがたまにあり、慣れているお祈りの言葉や短い単語は大丈夫なのですが、手話だけでのコミュニケーションとなると、もうすっかりお手上げで、日常生活に於いてはもっぱら口話中心です。
 実は亡くなった母が、一九九〇年にアメリカの障害者法(ADA)に刺激を受けて、教会に手話通訳の付けるように要請する手紙が数年前に出てきました。あれから二十二年経ち、今度は聾者と難聴者との間でいろいろ問題があることが明るみになってきました。それより前に一般社会では既に問題になってきていたのですが、難聴者の立場から私の場合に限って言いますと、聴能と言語のリハビリのために人一倍よく聞いて、喋る必要があり、聴覚につながる身体全体の構音器官をどんどん使わなければ、鈍り易いのです。
 従って、同じように手話を使ったとしても、脳の言語野においては、聴覚、視覚をフル稼働して大脳皮質の運動神経を刺激して、不自由な耳と口をコントロールして喋ります。かといってこういった発話行為は時に困難を伴うことはありますが、決して苦痛ではありません。聴こえないから黙っていて、と言われると時としてエネルギーが鬱屈してしまう事もあります。人と会って喋るのは好きですが、「口は災いの元」ですから歌う事でストレス発散すればいいと思い、合唱団に入ったりしてるわけです。
 それから九月にいただいたお手紙の中でTさんという方が人工内耳をされていたという事が書かれていましたが、私も十年程前に大学病院で勧められた事があります。最近、知り合った人工内耳の会の方や、リハビリ関係の大学教授にもセールスされました。しかし私はそういった話には、次のように言ってお断りしています。
 私は大学在学中に心理学関係の講義で、アメリカのSF映画「アルジャーノンに花束を」を観た事があります。モノクロからカラー時代になったばかりの映画で、ややレトロ調の映像だったのを覚えています。そのストーリーというのが、アルジャーノンという青年に、知能を高めるための脳外科手術をするというもので私は、その上映中に気分が悪くなって教室を出て、下痢と吐き気をもよおしてしまいました。一緒に講義を受けていた他の学生は誰もそのような反応はなかったのですが、それは私が、子供の頃から補聴器を頭部に装着していたためと、それが左耳であったことから、感受性が人一倍、敏感になっていた事が原因と考えられます。
 それ以来、私の感覚の中で「ロボトミー(脳外科手術)」に対する拒絶感が起こるようになり、人工内耳をと勧められて「ロボトミー?!」と叫んでしまいました。医者にとっては人工内耳手術の際に、標本ではない本物の人工内耳を観察できるわけですから、何気なく言ったとしても、切られる側としては「人体実験」じゃないかと思ってしまうんですね。
聴覚の回復の見込みのなくなった子供に、万が一の望みを託して親御さんが、人工内耳手術をしてでも子供の耳を治してあげたいと思う気持ちはよくわかります。今まで全聾と言われてきた子供達が、トレーニング次第で聴こえ、喋れるようになったというデーターもありますし、人工内耳が是か非かと今は私には言える立場でないこともわかっています。
 しかし、よかれと勧めたことが逆にトラブルの元になり、人間関係をも壊しかねません。 医学の進歩は素晴らしいと思いますが、個人的な関わりにおいて第三者の側からの無神経な発言があり、ちょっと言い過ぎと思う事があります。現状では私の場合、たとえ重度の聴力損失レベルでも、トマティスのCAVなどの骨導やクラシックなどの声楽ゴレーニングを続ければ、人工内耳どころか、補聴器も必要ないと思います。聴覚障害者の中にも体質によって、補聴器や人工内耳を付けたくないというデリケートな人がいるということをもっと知り、発言を控えてほしいと思っています。

 

 


 

2015年1月3日土曜日

A Happy New Year!


A Happy New Year!
今年もどうぞよろしくお願いします  2015年元旦

 
 
 
羊飼達は、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 (ルカ福音書2-17

 
 
                                          森峰子
                                &Fax03-3401-8750
                           


2014年11月23日日曜日

 
聴覚障害児と共に歩む
~内なる魂の声を求めて~
森美保子遺稿集
 
編集:森峰子
 
 
三人の聴覚障害児を育て上げた母の愛の記録
イエスの臨在の内に溢れ出る神の叡智と
聴覚障害児教育の真髄に迫る
 
本文より 「私は子供達のことではよく絶望的になります。それでも私には希望があります。
それは神様との関わりを信じるからです。私はこんな絶望の中でも希望があることは
素晴らしいことだと思います。私はその素晴らしいことの中で生きています。
 
東京図書出版㈱
定価 1400円(税別)
 
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希望冊数とお名前と送り先、お電話番号を記載の上、

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2014年9月13日土曜日

音楽絵本「ピースくん、せかいをまわる」チャリティコンサート

音楽絵本「ピースくん、せかいをまわる」
チャリティコンサート
~絵本と音楽で平和のメッセージを~

日時:20141019日(日)1130開演

会場:カトリック麻布教会聖堂
      東京都港区西麻布3-21-6  電話:(03)3408-1500

      出演者:小野寺絵留奈(フルート)、森有子(オルガン)、早稲田桜子(バイオリン)

【プログラム】
音楽絵本「ピース君、世界をまわる」(絵:森峰子、作曲:中川いづみ)
無伴奏パルティータ第2番ニ短調BWV1004からシャコンヌ(作曲:J.H.バッハ)
アーメンハレルヤ(作詞作曲:末吉良次)
 
※自由献金制(カリタス・ジャパンを通して平和活動に充てさせていただきますので、皆様のご協力をお願いいたします)
主催:カトリック正義と平和協議会 ピース9 Maria Arts & Music PEACE9

早稲田桜子(わせだ さくらこ):東京芸術大学卒業。4歳よりヴァイオリンを始め、12歳より国内外で様々な演奏活動を行う。大学在学中より度々渡仏しフランス音楽を学び、卒業後はジャンルを超えた音楽を求め米国バークリー音楽院に留学。2002年から2年半パリに暮らし、生涯の師となるイヴリー・ギトリス氏に出会い、改めてクラシック音楽の魅力を実感する。音楽活動を続けるなか自らの体験を通して、身体、心理面へも興味を持ち、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。2006年より(財)地域創造・公共ホール音楽活性化事業登録アーティストとして全国各地でレクチャー、コンサートを行うほか、アーティストのコンサート、アルバム参加など様々な分野で活躍。昭和音楽大学講師。 

小野寺絵留奈(おのでら えるな):日本大学芸術学部音楽学科弦管打楽コース卒業。卒業演奏会出演。フルート協会主催第27回フルートデビューリサイタル出演。ライブやレコーディング等の演奏活動、後進の指導を行っていたが、現在は2児の育児に邁進中。これまでにフルートを岩花秀文、渡辺圭一、石原利矩、石塚もと子、F.レスグルグの各氏に師事。 

森有子(もり ゆうこ):麻布教会オルガニスト。 

森峰子(もり みねこ)3歳時にクロマイ服用のために難聴となる。音楽好きの母親の影響で幼少時から歌やフルートなどの音楽に親しむ。短大英文専攻を経て、日本女子大学家政学部児童学科卒。エイボン女性スカラシップ受賞。卒論文テーマは「聴覚障害児の抱える問題と音楽ワークショップのあり方」。銀行、出版社などに勤めた後、日本女子大学研究生として研究論文「拓かれた聴覚の模索―『右脳と左脳―その機能と文化の異質性』からの考察」をまとめた。 2008年、エッセイ「マリア・エリザベートの音楽―拓かれた耳の贈り物」(PHPパブリッシング)を出版し、好評を得る。2010年から毎年、絵本朗読と音楽のコンサートを企画主催している。臨床美術士、京都造形芸術大学にて学芸員資格取得。

 



 



 

2014年8月7日木曜日

神津島ジュリア祭巡礼―二つの朝鮮

 昨年、初めて神津島を訪ねたときは何も知らなかった私でした。今年はおたあジュリアの歴史小説を読んだり、学芸員資格課程でキリシタン資料についてみっちり勉強したりした後でしたからまた、新たな思いを持って参加いたしました。

ニ度目の巡礼を終えての帰り、桟橋で並んでいたときです。これから大型客船に乗ろうとしたとき、一人の女性が走り寄ってきました。往きの船の三等船室で向かいに座っていました。途中、船酔いしていたようでしたが、黒ずくめの服を着ていて声を掛けづらかったのです。でも、誰も彼女に気がつかなかったので少し、彼女のためにお祈りしました。島では泊まった民宿が同じでしたが、食事の時もほとんど黙って喋らなかったので、いるのかいないのかわかりませんでした。

翌朝、私は早起きしたので歩いて海岸まで散歩しました。帰り道にくだんの女性が向うから誰もいない坂道をひとりで降りてきました。その時はもう、朝食まで時間がなかったので彼女にそのことを告げて、一緒に宿に戻ることにしました。途中、少しだけ歩きながらお喋りしましたが聞けば、カトリック信徒ではないが、このジュリア祭のために神奈川の横須賀から来ているとのことでした。私は横須賀といえば、「月・月・火・水・木・金・金」の海軍で、海軍カレーは美味しいですね、とか私の通っていたカト校には韓国籍の人が多かったこと、関東大震災での鶴見警察署長の話など、たわいもない話をしました。その時、私は険しかった彼女の表情が心なしかふっと和んだような気がしました。でもそれは朝の爽やかな空気のせいだったかもしれません。

その後は御ミサがあったり、神津太鼓のイベントが続いたりで、彼女と交流することはありませんでした。乗船間際の別れの際に、彼女が人混みをかき分けてわざわざ挨拶に来て、私はその時に、彼女の名札を見て、これは何と読むのですか?と尋ねました。日本人には珍しい名字でしたが、韓国人にはない名前でした。すると彼女は堰を切ったように、自分の身の内を話し出したのです。出航までのほんの数分間でしたが、私には出発した時の時間が全て、凝縮されたかのような濃い時間でした。

自分は実は北朝鮮人であること、母親は韓国人だが、南北に分かれて離れ離れになってしまったことなど、朝鮮は、本当は一つなのに…。ただそれだけでしたが、私には数年前、自分が北朝鮮のデポドン事件のことやアメリカの創価学会のリーダーが反核運動に関わっていたこと、拉致事件のことなど、つまりマスコミのニュースだけで北朝鮮を目の敵にしていたことを心から反省していました。こういった記事の裏で、家族の絆を引き裂かれて涙している人がいること、その魂の叫びを聴いて歴史の裂け目が見たような気がしました。

ジュリアも、朝鮮の役で父親を殺されて孤児になり、カトリック大名小西行長に引き取られて、敵国である日本で暮らさなければなりませんでした。恵まれた生活の中でも、祖国への思いを断ち切れなかったジュリアの魂が彼女の中にもあったのでしょう。

今回のぬるま湯のような巡礼の中で、火箸のように焼けただれた神のメッセージを聴いたのです。「敵のために祈りなさい」。真の平和の道は、柔和な神の仔羊であるイエス様に従う事、それが最善の方法だと気づきました。


 

2014年4月20日日曜日

流氷と祈りのトレーニング

  30代の頃、それより10年前にルルド巡礼で御一緒した神父様を訪ねに北海道まで行ったことがあります。ちょうど春先で流氷のシーズンが始まるころで、神父様と亡くなった母と3人で砕氷船に乗りました。眼前の海一面に広がっている厚い氷の板をガツン、ガツンと割りながら突き進んでいく音を聴きながら、私は鎧のような心の耳が崩れていき始めるのを感じていました。もともと右の耳は3歳時に薬の副作用でほとんど聴こえなくなっていたのですが、最果ての地のキーンとした空気に触れて却ってひびが入って動き始めました。そこからわずかな隙間風が入り、かすかな音が聴こえてくるようでした。それ以来、私の聴覚的な神との対話を求めての心の旅が始まりました。

 さて、その神父様はそれより少し前に、中央協議会にいらっしゃった頃に麻布教会でミサを奉げられたことがあります。小林敬三神父様がいらっしゃった時で同じ名字の小林薫神父様とおっしゃいました。私は当時、麻布は年に数回だけ、母に連れられて行ったことがありますが、私も知らない教会で懐かしい神父様に偶然、お会いしてその時、初めて麻布教会に親しみを持ちました。

 さて春になると、寒さで委縮した身体が一気に暖まって緩み、何もしなくても春はひとりでにやってきます。でももし、四旬節という心の準備がなかったら、ただ浮かれてしまうか何となく憂鬱になるだけでしょう。しかし、「祈り」によって私達は心の真ん中から春の準備を始めることができるのだと思います。青函トンネルが本州と北海道の双方向から掘り進んで開通したように私達の心も、神様との真の出会いに向かうために自分の内にいらっしゃるイエス様といつも出会っていなければなりません。そのために「祈り」続けることが必要なのでしょう。古い自分を脱ぎ捨てて新しい自分に出会うために、「御受難劇」という試練がありますが、怖いことなんかないよ、とイエス様が一緒に導いてくださるのは本当にありがたいことだと思うのです。

 私の凍りつくような厚い、厚い氷の壁さえも「祈り」の力で真ん中から溶け始めたのです。そしてイエス様にいただいた秘跡のお恵みを永遠の命につなげていくためにも、「いつも、いつも」祈らなければならないと思います。「祈り」はトレーニングなんだよ、と稲川神父様はおっしゃいました。私の祈りは手話が伴うこともありますが、オリンピックのトレーニングにもまけない「祈り」のトレーニングを頑張りたいと思っています。

2014年4月4日金曜日

初めもなく終わりもない永遠のいのち

 今からちょうど一年前の灰の水曜日の夕方にミサに出て、そのまま聖霊に導かれるように聖書クラスに参加しています。最初の頃に稲川圭三神父様が、「初めもなく終わりもなく永遠のいのちを持っておられる神」とおっしゃいましたが、私は聖書には、
「わたしはアルファ(α)であり、オメガ(Ω)である。最初であり、最後である。(わたしは、乾く者には、いのちの水の泉から、値なしに飲ませる。)」(黙示録216節)」と書かれているではないですか?と神父様に質問いたしました。 それに対して神父様は、聖アウグスチヌスの言葉を引き合いに出してこう答えられました。
「初めもなく終わりもないというのはセコンド(時間・分、秒より前の)の時間なのですよ」と。それで私はわかったような、わからないようなという感じで毎回、神父様のお話を聞いていました。
ところがその頃たまたま、日比谷公園内にある日比谷図書文化館で「終わりから始まるものがたり. ―25の問いと100冊の本」が開かれていました。その展覧会の趣旨は「すべてのものごとには「終わり」があります。人の一生も、自然も、文明も、そしてかつては永遠に存在すると考えられていた宇宙でさえも、やがて終焉を迎えます。「終わり」は世界の必然であり、すべてのものごとに潜んでいます」というものでした。今から何十年後、自分はどうなっているか、あるいは何百年後に地球はどうなっているかといった質問に答える映像ゲームがありましたが、後になって神父様のお話はこれとは違った内面的な問題なのだと気付きました。
 もう一つ気付いたのは、稲川圭三神父様は手話ができることもあり多分、ご自分の身体を丸ごと投げ出してお話されているらしいという事でした。そこで私が思い出したのは大学時代に保健体育論か何かで読んだメルロ・ポンティの身体動論でした。それは、一つの対象認識に<精神の中のものであるか<対象の中のものであるか>いう二極対立を超え、私の身体のリアリティは<どちらともいえない>というものです(Wikipediaより)。それである日の聖書勉強会が終わった後、私はその日の午後中ずっと、「初めもなく終わりもない永遠のいのち」とつぶやきながら、歩いたり家事をしたりしていました。そうしましたら段々、その言葉が私自身を変容させてしまったのです。
 つまるところ、「初めもなく終わりもないいのち」とは、私達が母の胎内で過ごした時間かもしれません。いやそれ以前のDNAの記憶かもしれません。こうして、「マリアが子を宿しうる処女性」、「おとめである母」(教皇パウロ6世使徒的勧告『マリアーリス・クルトゥス』)という言葉の意味を初めて理解しえたのです。
また、私は5年ほど前にペンシルバニア州フィラデルフィアにあるフランクリン・ベンジャミン博物館で心臓外科手術のハンズオン展示を見たことがありますが、その時に見た心臓の生々しい映像が印象に残っています。心臓は地球のマグマを思わせる程、赤々と鼓動しながら血液を押し出し、身体の隅々まで巡らせるほど力強いものです。神様の愛はそれほどまでに激しいのですから、せっかくいただいたいのちを無駄にしないように次世代に受け継いでいかないといけません。それは遺伝子レベルの問題ではなく、神の愛のなせるわざです。そしてそれには祈りが伴わなければ、永遠性が伴いません。そういった意味での永遠のいのちともとらえることもできます。
さらに私は、永遠のいのちの場所とはどこかしら?心臓かしら?と疑問を持ちました。聖書にはいくらでも追及するテーマがあるのかもしれません。有名な言葉に、「魂を尽くし、心を尽くして汝の神を愛せよ」とありますが、HeartSpiritsも、mindも心なら、手話で心と表わす時にどこかしら?と手が胸の上をあちこち迷います。愛も聖霊も命も「心」なら、永遠のいのちはどこなのでしょう?
それも、お台場にある日本未来科学館での、脳科学・霊長類学・認知科学などの視点から「生物としての人間」の性質を見る展示で、一つのインスピレーションが与えられました。それは人間の「共感」「同調」「模倣」という心理行為を、チンパンジーと赤ちゃんとで比較したものです。つまり、チンパンジーは手とモノを同時に見るのですが、人間の赤ちゃんは、心を見るのだそうです(松沢哲郎「人間のこと」より)。私達が手を使って報酬を得ようとするのは、チンパンジーと同じなのですね。無条件の愛を知っている人間の赤ちゃんは、それ以前に神の心を与えられているのです。このことは私にとって大きな発見でした。私達は「心」を教育する事によって得るのではなく、それは既にあったのにもかかわらず、私達はそれを忘れてしまっていたのです。そしてその心は心臓部分にではなく、ちょうど天使の羽の付け根部分に知覚センサーが反応したということです。ちょうどお祈りする両手の裏側でした。神様がお創りになった人間の身体の神秘が、このように現れていることに感動しました。
  参考URL:「終わりから始まるものがたり. ―25の問いと100冊の本」http://hibiyal.jp/hibiya/exhibition2013/

2013年10月16日水曜日

臨床美術について―その1―

痴呆性患者に及ぼす芸術の影響性について

父が83歳になり、呆けもせずに元気にしていますが、頑固なので今後のことが心配です。十年ほど前に母が亡くなり、娘である私が食事を作ったりしています。大学で少しだけ学んだ老人介護学の知識を持ち出して説得していますが、家族だと身近すぎてあまり言う事を聞きません。ただ、臨床美術資格取得講座で呆け老人の脳の仕組みを知ることができたのはラッキーでした。アルツハイマー病に関する情報を得られ、とりあえず安心しました。脳のどこから人間は呆けていくのか、その仕組みがわかり、まだ早いが、若い人の脳梗塞が増えていることもあり、自分の健康管理にも役立つと思います。

父は元気なうちから呆けない生活習慣をつけるように、それとなくリードしていかなければなりません。些細なことですがある問題について、今までやってうまくいかなかったが、右脳(味覚)からにリードしたら奇跡的にすんなりできたということがありました。どんな頑固な人でも、人間である限りは誰も同じと気づきました。ただ、父は高学歴で、新聞とテレビしか趣味がないような人。美術などのアート分野は画材を出すだけで逃げてしまい、動機づけが難しいのです。恐らく他の右脳活用法を探ることになるかもしれませんが今の所、食事とコンサートに連れて行くしか方法がありません。新たに右脳活用方法をどうやって見つけていくか、方法があれば知りたいぐらいです。今は常に社会性を持てるよう、生活習慣をリードすることを右脳からやってみたいと思います

 ファミリーケアについて

呆け老人のファミリーケアはとても大切なものだと思います。ただ、実際問題が起きたとき、どこに相談したらいいかわからないというようなことが起こるかもしれません。病気やけがのときは病院に行きますが、カウンセリングをするほどでなくてもお年寄りの場合は心療内科扱いなのか、役所の福祉課に行けばいいのかまだ不案内です。

臨床美術で行う「わかちあい」は教会でやっているものと似ていますが、日本人はやはり苦手意識があるでしょう。特に都会ではそういう傾向があるのではないでしょうか。私自身、他人のプライバシーを喋りすぎる人がいて迷惑したので、ちょっと敬遠しています。どんな人が集まるかはとても気になります。「わかちあい」に於いては、カウンセラーに対する信頼感が大きな鍵です。また、カウンセラーだけでなく医師がバックアップしてくれているという安心感はとても大きいと思います。そうして初めて、臨床美術士も自由にのびのびとセッションを行うことができるのかもしれません。

 私はこれまで児童学専門で、子どもと違って老人というのは経験したことがありませんので、お年寄りの扱い方を勉強していくことが大切かもしれませんが、実際問題として難しそうです。それはお年寄りの中には聴覚障害者を軽蔑する傾向がある人がいるからです。ですから、私が主流としてやるのではなく、仲間の臨床美術士をサポートする形ならできそうな気がするのです。

2013年10月11日金曜日

KAMIKAZE―特攻隊と桜


 話はさかのぼって昨年の十二月、東京・外苑の東北芸術工科大学と京都造形芸術大学が作った「東京芸術学舎」でベネチアのビエンナーレ賞を受賞した日本画家、千住博先生氏の講演会がありました。「じぶん学」というシリーズの講座で、大脳生理学者の茂木健一郎と養老猛が続いた後で、とても楽しみにしていました。

 学舎の講義室に現れた先生は、アートの大家とは思えないほど腰が低く元々、教職にある方ではないので、緊張しておられる様子でした。しかし、前面のスクリーンに自分の作品が大写しになると、回転椅子に座ったまま映像の方に向き直り、リラックスされたのでしょう。話が段々、ダイナミックになってきたのです。先生の話は絵画の題材だけにとどまらず、絵の中から飛び出し、グローバル化して宇宙レベルにまで広がっていきました。

  その時にもらったチラシの中に、翌年の一月の終わりに東京文化会館で開催される、「KAMIKAZE―神風―」のお知らせがありました。千住先生がチラシのイラストを描かれただけでなく、舞台芸術まで手掛けるというのです。

 私が十年以上前から親しくさせていただいている大友直人さんも指揮をされるというので、大枚はたいて観に行きました。本当のことを申し上げると、私のお小遣いでは3万円以上もするチケットは本当に無駄遣いでした。そこで私は、このオペラを観るためのバリュー(価値)を定めたのです。それは、

一、        カトリック正義と平和協議会「ピース9の会」のMaria Arts Music PEACE9の一員としての使命を持って観る。

二、        翻訳でない、日本語のオペラを堪能し、イタリアやドイツオペラでは得られない魅力を充分に味わう。

というものでした。
一については、田園調布教会ピース9「地に平和」の冨澤由利子さんをお誘いしました。
二については、母国語なので、喉がカラカラに乾くほど、歌が心に響きました。

このオペラは第二次世界大戦末期の鹿児島の知覧飛行場を舞台にした、反戦オペラで、明日には特攻隊として飛び立つことになる二つのカップルの悲恋で、三枝成彰が作曲したものです。

開演前の緞帳に、千住先生の波の絵がアニメになり、大写しになっていたのには驚きました。抑えの美学を利用した桜の木も大変、素晴らしく印象に残っています。

また、ジョン・健・ヌッツオと小川里美さんと小林沙羅さんたちが日本語の発声法に合わせて、女性はなよなよと、男性はいかつい不動明王のようで、発声器官と身体器官の繋がりが歌唱法と関係があると気付かされました。私たちは外国語オペラのスタイルに慣れらされてしまっていますが、オペラならこう歌う、というのはないのです。

 そして残念なことにラストで、ヒロインが自害してしまうのですが、その頭上から桜の花吹雪が最初はひとひら、そのうち、何枚もはらはらと降ってくるのです。さらに彼女の姿が見えなくなるほど降りしきり、ついには舞台の上に、淡い桜色の雪が深く積もりました。

 桜、桜、桜…、日本人の心は桜なのです。桜餅を食べているように胸がいっぱいになり、悲しいほどヒロインの気持ちが伝わってきました。

 特攻隊というのは、本当は崇高な使命感などないのです。スターリンの鉄のカーテンと同じように、戦争が人を狂わせてしまうのです。村八分になるのを恐れて、志願してしまう人間の弱さ。

こういった時代の精神がまかり通り、全てが絶望と思われた、815日に聖母の奇跡が起こったのは、神のなせる業に他なりません。神は既に私たちの心に何度も回心を呼びかけていたはずですが、音楽が途絶え、勇ましい軍歌に魂は鼓舞され、爆撃や空襲のサイレンの音が日常的になってしまうと、どんな人間でも迷彩色マインドに染まってしまうのです。男は闘わなければならないというのは獲物を捕るためであっても、人と人とが殺し合うことであってはなりません。

聖フランシスコも聖パウロも、戦争で傷ついた若者でした。母の胎内から生まれる瞬間に偶然、立ち合い、赤子の泣き叫ぶ声を聞いた若者は、人間の命の貴さに目覚め、武器を捨てて祈るのです。罪を犯したことのない神のひとり子の姿をその赤子の中に認めたのです。

私は3歳から22歳まで、補聴器を装用していましたが、はっきり言って補聴器を付けても耳に聴こえてくる音は明瞭ではありません。それに慣れてしまうと、暴走族やロック音楽、果ては戦争映画の爆音の方が心地よいと感じてしまうかもしれませんが、自分が心理的にも何等かの異常を被っていることには案外、気づかないのです。グレゴリオもモーツアルトも理解できませんから、精神的にも不安が大きく、はたから見ると落ち着かない子どもだったかもしれません。

そんな私が大きく変わったのは、30代から始めた音楽療法がきっかけでした。音環境によって人間の心も体も大きく影響を受けるということを誰よりも実感した私は、以前よりも音環境に気を配るようになりました。

その一方で、あらゆる騒音から遮断された聴覚障害者の耳は、ある意味でどんな邪悪な世界にも染まらない聖域だと私は思うのです。

さて、オペラを観終わった私はその後、千住先生の桜色に染まった舞台を静かな音の世界の中で思い出す度に今後、このような情緒を味わう舞台は再びないかもしれないと感じています。

今、改めてオペラを振り返ってみますと、三枝成彰の音楽は私の記憶から消えて今、千住先生の舞台と歌手の姿だけが思い出されます。桜の情緒は、日本人の「もののあはれ」の心情を生まれて初めて教えてくれたのです。私にとって、日本人であることは、その文化の素晴らしさに触れるだけでなく、悼みの歴史を伴うものでなければならなかったのです。それが私の因縁の結果とは関係あるかないかではありません。