2014年8月7日木曜日

神津島ジュリア祭巡礼―二つの朝鮮

 昨年、初めて神津島を訪ねたときは何も知らなかった私でした。今年はおたあジュリアの歴史小説を読んだり、学芸員資格課程でキリシタン資料についてみっちり勉強したりした後でしたからまた、新たな思いを持って参加いたしました。

ニ度目の巡礼を終えての帰り、桟橋で並んでいたときです。これから大型客船に乗ろうとしたとき、一人の女性が走り寄ってきました。往きの船の三等船室で向かいに座っていました。途中、船酔いしていたようでしたが、黒ずくめの服を着ていて声を掛けづらかったのです。でも、誰も彼女に気がつかなかったので少し、彼女のためにお祈りしました。島では泊まった民宿が同じでしたが、食事の時もほとんど黙って喋らなかったので、いるのかいないのかわかりませんでした。

翌朝、私は早起きしたので歩いて海岸まで散歩しました。帰り道にくだんの女性が向うから誰もいない坂道をひとりで降りてきました。その時はもう、朝食まで時間がなかったので彼女にそのことを告げて、一緒に宿に戻ることにしました。途中、少しだけ歩きながらお喋りしましたが聞けば、カトリック信徒ではないが、このジュリア祭のために神奈川の横須賀から来ているとのことでした。私は横須賀といえば、「月・月・火・水・木・金・金」の海軍で、海軍カレーは美味しいですね、とか私の通っていたカト校には韓国籍の人が多かったこと、関東大震災での鶴見警察署長の話など、たわいもない話をしました。その時、私は険しかった彼女の表情が心なしかふっと和んだような気がしました。でもそれは朝の爽やかな空気のせいだったかもしれません。

その後は御ミサがあったり、神津太鼓のイベントが続いたりで、彼女と交流することはありませんでした。乗船間際の別れの際に、彼女が人混みをかき分けてわざわざ挨拶に来て、私はその時に、彼女の名札を見て、これは何と読むのですか?と尋ねました。日本人には珍しい名字でしたが、韓国人にはない名前でした。すると彼女は堰を切ったように、自分の身の内を話し出したのです。出航までのほんの数分間でしたが、私には出発した時の時間が全て、凝縮されたかのような濃い時間でした。

自分は実は北朝鮮人であること、母親は韓国人だが、南北に分かれて離れ離れになってしまったことなど、朝鮮は、本当は一つなのに…。ただそれだけでしたが、私には数年前、自分が北朝鮮のデポドン事件のことやアメリカの創価学会のリーダーが反核運動に関わっていたこと、拉致事件のことなど、つまりマスコミのニュースだけで北朝鮮を目の敵にしていたことを心から反省していました。こういった記事の裏で、家族の絆を引き裂かれて涙している人がいること、その魂の叫びを聴いて歴史の裂け目が見たような気がしました。

ジュリアも、朝鮮の役で父親を殺されて孤児になり、カトリック大名小西行長に引き取られて、敵国である日本で暮らさなければなりませんでした。恵まれた生活の中でも、祖国への思いを断ち切れなかったジュリアの魂が彼女の中にもあったのでしょう。

今回のぬるま湯のような巡礼の中で、火箸のように焼けただれた神のメッセージを聴いたのです。「敵のために祈りなさい」。真の平和の道は、柔和な神の仔羊であるイエス様に従う事、それが最善の方法だと気づきました。


 

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