父が83歳になり、呆けもせずに元気にしていますが、頑固なので今後のことが心配です。十年ほど前に母が亡くなり、娘である私が食事を作ったりしています。大学で少しだけ学んだ老人介護学の知識を持ち出して説得していますが、家族だと身近すぎてあまり言う事を聞きません。ただ、臨床美術資格取得講座で呆け老人の脳の仕組みを知ることができたのはラッキーでした。アルツハイマー病に関する情報を得られ、とりあえず安心しました。脳のどこから人間は呆けていくのか、その仕組みがわかり、まだ早いが、若い人の脳梗塞が増えていることもあり、自分の健康管理にも役立つと思います。
父は元気なうちから呆けない生活習慣をつけるように、それとなくリードしていかなければなりません。些細なことですがある問題について、今までやってうまくいかなかったが、右脳(味覚)からにリードしたら奇跡的にすんなりできたということがありました。どんな頑固な人でも、人間である限りは誰も同じと気づきました。ただ、父は高学歴で、新聞とテレビしか趣味がないような人。美術などのアート分野は画材を出すだけで逃げてしまい、動機づけが難しいのです。恐らく他の右脳活用法を探ることになるかもしれませんが今の所、食事とコンサートに連れて行くしか方法がありません。新たに右脳活用方法をどうやって見つけていくか、方法があれば知りたいぐらいです。今は常に社会性を持てるよう、生活習慣をリードすることを右脳からやってみたいと思います
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呆け老人のファミリーケアはとても大切なものだと思います。ただ、実際問題が起きたとき、どこに相談したらいいかわからないというようなことが起こるかもしれません。病気やけがのときは病院に行きますが、カウンセリングをするほどでなくてもお年寄りの場合は心療内科扱いなのか、役所の福祉課に行けばいいのかまだ不案内です。
臨床美術で行う「わかちあい」は教会でやっているものと似ていますが、日本人はやはり苦手意識があるでしょう。特に都会ではそういう傾向があるのではないでしょうか。私自身、他人のプライバシーを喋りすぎる人がいて迷惑したので、ちょっと敬遠しています。どんな人が集まるかはとても気になります。「わかちあい」に於いては、カウンセラーに対する信頼感が大きな鍵です。また、カウンセラーだけでなく医師がバックアップしてくれているという安心感はとても大きいと思います。そうして初めて、臨床美術士も自由にのびのびとセッションを行うことができるのかもしれません。
私はこれまで児童学専門で、子どもと違って老人というのは経験したことがありませんので、お年寄りの扱い方を勉強していくことが大切かもしれませんが、実際問題として難しそうです。それはお年寄りの中には聴覚障害者を軽蔑する傾向がある人がいるからです。ですから、私が主流としてやるのではなく、仲間の臨床美術士をサポートする形ならできそうな気がするのです。
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