2013年10月8日火曜日

隠れキリシタンの論理的考察


 
 私は今年から、京都の芸大で博物館学芸員資格課程の勉強をしているのですが、なぜ今、隠れキリシタンの聖母マリア資料を取り上げることにしたのか?という仮題でレポートを書きました。

東日本大震災を挟んで、改憲や原発問題など、日本のカトリック司教団が発した原発反対のメッセージに対して、政府が全く反対の対応を示していますが、そのことについて、私はこれらの問題に隠れキリシタンの歴史にその根拠があるのではないかと思ったのです。

 さて今年の5月に隠れキリシタンのおたあジュリアが流された神津島に行き、それがきっかけで、三浦綾子の「細川ガラシャ夫人」(新潮文庫)と「三木パウロ―安土セミナリオ第一期生」(宇治市役所振興課刊)の隠れキリシタンに関する二つの小説を読みました。その上で、永青文庫でキリシタン大名の高山右近の書を見つけたことなど偶然が重なり、ますますキリシタンに興味を持つようになったのです。

 いろいろなキリシタン絵画資料を美術館や文献で見てきましたが、当時の日本の社会情勢について恐らく、柳田國男の「遠野物語」(内容はよく知らないが)のような時代だったのでしょう。苦難の人生の中で、崇高なヨーロッパの神に救いを求めたキリシタンたちは、究極の選択として、どうして十字架の道を選んだのでしょうか?そしてなぜ、秀吉や家康が罪のないキリシタンを迫害するに至ったのかと考えるようになりました。

 三浦綾子の小説で、これまで裏切り者扱いされていた明智光秀が細川ガラシャの父として、英雄として登場したことで、歴史に対する価値観に大きな方向転換がありました。その光が反転したところにできた影に暴君秀吉の姿が浮び上がり、これまでの疑問が次々に解けたのです。私たちは、アウツビッツのユダヤ人に対して深い同情の念を抱き、ヒトラーを強く批判していますが、どうして同じように秀吉を批判し、キリシタンに同情することができないのでしょうか。そのために、歴史小説に込められた真のメッセージを理解してもらうために、キリシタンの聖遺物を収集し、調査研究して、展示することは大きな意義があるのです。

さらに、戦国武将の妻として苦しみ続けてきた細川ガラシャがなぜ、キリスト教を信じるに至ったのでしょうか?現代社会における諸問題の解決のために、リーダーシップを取れる新たな女性像として、細川ガラシャやおたあジュリアは理想的なのです。彼女ら隠れキリシタンの女性たちの生き様から、西洋の聖母像にモデルを求めるのではなく、自分の足元である日本の歴史のルーツに根差せば、学ぶことがたくさんあるのではないかと思います。

 ところで数年前に、友人のご両親を訪問したとき、彼らがキリシタンの子孫だったことが判明したことがあります。床の間に隠れキリシタンのご先祖様のお写真が飾られていたのですが、このように、国立博物館や南蛮文化館などに所蔵されていない、個人所蔵のコレクションが潜在的にあると考えられます。キリスト教は宗教問題も関わってくるので、カトリック団体がこういった資料館を作り、寄贈を募れば、我らが愛するイエス様の教会なら「奉献」してもいいというケースが予想されるのではないでしょうか。

 

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