私の洗礼名、聖マリア・エリザベートは、1人はイエス・キリストの母・マリアと、もう一人はポルトガルの王妃です。私は生まれて4か月目に受洗したのですが、この日がちょうどエリザベートの祝日でした。何故、母がポルトガルの王妃を選んだのかはわかりません。叔母がハンガリーの聖エリザベート王妃で、彼女の聖徳を慕ってその名をとったそうです。ポルトガルのについて書かれたものはほとんどなく、「聖人たちの生涯―現代的聖者175選」(池田敏雄著・中央出版社刊)に僅かに記されています。
「平和のためにはたらく人はしあわせである。かれらは神の子と呼ばれるであろうから」(マタイ5-9)。
戦国時代さながら内紛の多い王室を苦心して丸め、夫と息子の争いには、ハンサムウーマンのごとく、戦場に乗り込んで仲直りさせたそうです。いろいろとゴタゴタの多い時代でしたが、「どこにいてもミサに与りなさい。そのために費やした時間は必ず報いられるから」というのが彼女の父からのメッセージでした。
その一方で、慈善事業にも熱心でした。孤児の子女に技術を教えたり、礼儀作法を教えたりする農業大学を作ったそうです。
ところで当時のポルトガル王室では夜な夜な、晩さん会が繰り広げられたことでしょう。昨年、近所の大きな音楽ホールで「鹿鳴館時代」の展示会がありました。私の曾曾祖父の代は恐らく、この華やかなりし人々に属していたのでしょう。夢見るような会場の造りにしばし、うっとりドレスを着た自分の姿まで思い浮かべました。
その展示の中には、当時のイエズス会士が日本の事を伝えるためにスペインの本部に送った手紙などもありました。そしてそれを観終えた後、私は直接、自宅には戻らずに、聖フランシスコ・ザビエルと聖エリザベートからの啓示を受けて、その足で麹町教会の夕方のミサに与りました。しかし聖堂に辿り着くまでの約45分間、私はひどい鬱状態に陥っていたのです。当時のお嬢様方も同じような虚無感に苛まされたかもしれないと思いながら、私の母が聖心の学生だったときに洗礼を受けた理由がわかるような気がしました。
さて、イタリアの貴族のお嬢様は日本とは違って、20歳になるまではブランド品はほとんど持たないそうです。成人してからは、自分の内面に相応しいものを一つずつ、揃えていくのだそうです。母達の若いころならいざ知らず、私たちの世代ではもうすっかり庶民感覚が行き渡っていますので、そんなものは数えるほどしか持っていませんが…。
ここでイタリアの話が出ましたが、皇家ボルゲーゼのアレッサンドラ嬢の「新たな目で新たな旅立ち」という本が2007年に女子パウロ会から出版されています。彼女はトラブル続きだった青春時代を過ぎた後に、神への回帰によって新たな切り口を見出しましたが、偶然にも、私と同じ年のジャーナリストでした。
彼女の本は、少し崇高な宗教書が読みにくいという方にお勧めの一冊ですが、私は彼女の文章の中にサファイアの心を感じました。
マリア様の心 それはサファイア
私たちもほしい 光るサファイア
(「マリアさまの心」作詞 佐久間彪)
さて、サファイアの石言葉は、「慈愛」「誠実」「貞操」だそうです。ルビーと同じ成分らしいのですが、祖母や母の徳に倣って付けられた霊名は、私には過分なものですが、せめてイメージの世界だけでも、サファイアブルーの中に住めたら幸せと思っています。
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